長距離通勤の苦痛は家族の死より長く続く


長距離通勤によって受ける苦痛は、
妻子が亡くなるよりも長期にわたって継続するという研究が
発表された時には多くの批判にさらされたらしい。

たしかに感情的になった人々が
根拠もなく自分の主観で反対の意思を表明するのは目に見えている。

しかし、その後の様々な科学者の研究によって、
どうやらこの説が正しいことは証明された。



それだけ長距離通勤による苦痛が大きいということでもあるし、
逆に言えば身近な人の死は忘れられてしまうということでもある。

妻が亡くなった場合に心の傷が癒えるのは4年、
夫の死なら2年で回復できる。

思いの外、短期間で立ち直れる事がわかる。

もちろん、その時の心の痛みはひどいにしても、
フィクションの悲劇のように永続するのは一般的ではない。



これに対して、
長距離通勤によるストレスはずっと続く。

何年か同じ通勤手段を使えば慣れるものではなく、
延々苦痛を感じ続ける。

どこかのタイミングで環境に順応して楽になるという期待は、
残念ながら裏切られることになる。



長距離通勤の疲労やストレスは毎日意識するし、
こうした現象においては慣れることはない。

人の死は一時的な出来事であるのに対して、
日常の中の苦痛はその度に意識してしまうので。


つまり、人生の満足度や幸福度を上げるためには、
長距離通勤は大敵ということになる。

実際、これは科学的なデータとしても算出されている。



私もサラリーマン時代は1時間以上かけて
会社に通っていた。

満員電車でもみくちゃにされながら、
前日の疲労も抜けないままに輸送されていく毎日には
二度と戻りたくないと思ってしまう。

今ではあんな生活は我慢の限界を超えると思うが、
当時はそれが普通だと思っていた。

他に選択肢がないのであれば、
生活のために耐える以外になかった。



学生時代にも1時間半かけて大学に通っていたし、
ある意味長距離を移動する日々というのは
サラリーマンを辞めるまでの間は日常だった。

大学の時は1限目から講義がない限り、
混雑した電車に乗らずに済んだのは幸いだったが。


空いている電車なら落ち着いて本を読めたし、
そこまでの苦痛ではなかった。

逆に言うと、
一限目に必修科目がある曜日は嫌だった。

朝早くに起きなくてはならないし、
電車の中もギュウギュウ詰め。

本も読めないので、まったくもって生産性がない。



通勤という概念がなくなった今では、
あの頃を思い出すとゾッとする。

もう二度と戻りたくないし、
長距離通勤なんてマイナス以外の何物でもない。

それは気分よく過ごすためにも、
結果を出すという意味でも。


私は朝の時間に集中力が出るので、
その時間を上手に活用することで成果を上げることができる。

にも関わらず、
長距離通勤をするということは、
この時間を捨てるのも同然。

1日の中でも指折りの大事な時間帯を
ただ単に会社に移動するためだけに浪費してしまうのは
あまりにももったいない。



サラリーマン時代に自宅での勤務が認められているわけもなく、
意味がなくても毎日出勤していた。

集中力が落ちてくる午後を移動に使いたいなんて、
口が裂けても言える環境でもなかった。


そのため、集中できる時間をただの移動に使い、
疲れが出る午後は仕事をしているという悪循環。

サラリーマンの働き方というのは本当に無駄が多かった。



そういえば、
入社後に新規事業のため、
片道3時間の長距離通勤を強いられるようになった同僚もいた。

結局3ヶ月たたずに辞めてしまったが、
そんな理不尽が起こることもある。

さすがに往復6時間ともなると、
1日の4分の1は電車に乗っていることになる。

残業なしで考えると、車掌と対して時間的に変わらない。

それは辞めたくもなるだろう。



会社に所属することをやめて個人でビジネスをすれば、
こうした無意味な行為からは解放される。

わざわざオフィスを持つ必要性もないわけだし、
1日中仕事をする必然性もない。

集中できる時には仕事をして、
ダメな時間帯は別のことをしていればいい。

本を読んだり、出かけたりしている方が
はかどらないのに働くよりも合理的。


そんなことを今は思う。



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執筆者、伊田武蔵
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