エリザベスデービットという料理研究家がいる。
この人の本というのは、単純にレシピだけが書かれている料理本とは違って、その食材の仕入れからストーリー調ですべてが語られている。
そのため、無駄と言えば完全に無駄だし、しかしながら臨場感であるとか、心の豊かさを感じることができる。
例えば遠くの土地に住んでいながらも、南仏のマルシェの空気をその本から感じ取りながら、料理を楽しむことができるので、ある意味で言うと、旅行記のような価値を提供しているということになる。
これは、エリザベスデービットだけではなくて、例えばジュリアチャイルドも同様の傾向の料理本というのを出している。
彼らの本というのは、機能性という部分に関して言うと、それほど高くはない。
単純に、レシピだけ見たいということであれば、COOKPADを見た方が早いかもしれないし、様々なレシピというのを見ることができる。
あるいは同じように本を買うにしても、エリザベスデービットや、ジュリアチャイルドの物よりも、もっと分かりやすく、尚且つ簡潔に書いてある料理本というのは、各国でいくらでも見つけることができる。
しかしながら、彼らの本によって得られる料理や、食材選びの楽しみというのは、他のもので変えることというのはできない。
そういった意味で、料理という世界と、精神的な意味での食の楽しみという隣接する世界を結び付けたところに彼らの強みがある。
単なる料理研究家であれば、いくらでも変わりはいるものの、こういった遊び心の要素を加えることによって、彼らは非常に※な存在になっている。
こういった遊び心というのは今後の世界において、重要度が増していくと予想される。
というのも、今のように情報が溢れている社会においては、その気になればいくらでも専門的な知識をいくらでも得ることができる。
更に言えば、ビジネススキルというのも、様々な面でノウハウ化されて、例えばプレゼンの仕方とか、リーダーシップの発揮の仕方、マネジメントのコツ、こういったこともどんどん暗黙知から形式知に置き換えられている。
その中でも、やはりこういった、隣接する領域をまたいで、新たな価値をイノベーションするという人は非常に少ない。
こういったイマジネーションの溢れる作業ができる人は、ごくわずかだし、ましてそれをうまく表現することができて、価値としてしょうかさせることができる人は、一握りなので、彼らの価値というのは今後も消えることはないのだろう。
こうして彼らの本というのは、書店に積まれる料理本の中でも偉才を放ち、特別な存在として、ファンの心を掴むことになる。
そして、ただ機能性を追及しているだけの料理本は、単純に写真の綺麗さであるとか、価格やレシピが簡単そうかどうか、といった内容で比べられ、それを書いたのが誰かということは注目すらされない。
この点というのは、料理研究家ばかりではなく、現代を生きる私たちにとって、非常に重要な示唆を含んでいると感じる。