海外移住前日の憂鬱は単なる引越しの寂しさなのかもしれない


明日にはフィリピンを出るという段になって、未だに出国証明書が手元に届かないので若干の不安はあるものの、一応の準備は整った。

心残りのないようにHobbit HouseとKamayanで食事をしてきたし、知人のフロレンティーノ夫妻にもお世話になったお礼を伝えてきた。

準備のために山ほどやることがあるというわけではなくて、基本的に部屋の中を掃除して後は旅行の準備を整える程度のことしかやることはない。

そして、だんだんと部屋のものが少なくなっていくにつれて、一抹の寂しさを感じるようになった。

これはフィリピンからマレーシアに移住してくるときにも感じた感覚。

そして結局のところ、これは海外移住の不安とか寂しさというよりは、ただ単に引越しをする時には常にまとわりつく、後ろ髪をひかれる感覚なのではないだろうか?

マレーシアの場合は一人で3LDKの部屋に住んでいたので、住んでいる時もがらんどうとしている感じがあった。

それに対して、フィリピンについてはコンパクトな部屋を選んだので、退去前もそこまで印象は変わるわけではないと思っていたものの、いらないものを処分していくと意外に部屋がすっきりしていく。

そうすると今までは毎日帰って来ていた部屋が、突然余所行きの表情を見せているようで、寂しいというかどことなく心許ない感じがしてくる。

しかしながら、それによって何かを失うわけでもないし、生き物として安全な巣がなくなるような生理的な恐怖を感じている部分はあっても、それは実際に部屋を出て一日も過ぎれば消え去ってしまう。


別れや変化への対処の巧みさ

こうして自分が住んでいた部屋に別れを告げていくことに慣れるのも、上手に生きていくためには重要な要素ではないかと最近は思うようになった。

これは人との別れも同様で、さようならを上手く言う技術はもっと重宝されても良いはず。

往々にして卒業や退職のような人と別れる場面は悲しみを誘うものだが、それによって自分の感情がかき回されて、やるべきことが手につかなくなるとか、そういったダメージも存在する。

実際、フィリピンを出る前日ということになって、今日は若干いつもよりもそわそわしていて、どことなく仕事が手につかない。

こういった状態は明らかに生産的ではないわけだし、いずれ克服していくべきことなのかもしれない。

もちろん一年や二年に一回のことなのだから、そのくらいは構わないという考え方もある。

それはそれで成立するだろうし、そういった考え方を否定する気もない。

しかしながら、どんどん別れを繰り返すことは、裏返せばそれだけ出会いが増えることでもあり、自分のキャパシティの容量を大きくしつつ無理のない範囲で新しい人を受け入れていくことにもつながってくる。

そういったことを考えると、やはり別れの技術は重要なのではないだろうか。

しばらくの間は拠点を持たずに転々としているので、常に短期的に別れを繰り返すような日常になる。

さすがに一週間しかいなかった街と、一年住んだ町では思い入れの度合いも違うので、一様に論じることは出来ないものの、面白い体験が出来るはず。

海外移住も繰り返していけば日常になっていくが、それでも一年に一回の部屋との別れ、あるいはそこに住んでいた人達との別れは少しだけ憂鬱な気分になる。

しかしそれすらも受け入れることが出来るのであれば、さらに人間として成長できる気がする。


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