いくらの資産があれば人は安心することが出来るのか


かつて世界で一番の資産家だったロックフェラーが、インタビューにおいてこんな逸話を残している。

インタビューアーがロックフェラーに対して「人生において必要なお金はいくらだと思いますか」という質問をしたところ、彼が答えたのは「あと少しだ」という回答。

たとえ世界一になってもそこで満足出来る訳はなくて、まだ足りないという感覚が永遠に付きまとってしまうことを象徴する言葉だった。

その一方で、アメリカの上位1%に入るような大金持ちであっても、マサイ族よりも少しだけ幸福度が上がる程度であって、幸福度にそれほどの差はないことが各種の研究によって判明している。

ちなみにアメリカの中でも貧困層に当たるような人、特にロサンゼルスやニューヨークのような大都市における貧困層は、他地域の貧困層よりも生活に対する満足度が低い。

これは単純な話で、周りの人と自分とを比べた時の不幸度が大きく、なおかつそれが四六時中つきまとうので、心が自由になれないということ。

先進国の人間から見ると、マサイ族も生活のレベルは決して豊かとは言えないものの、彼らは周囲の人も同じような生活をしているので、自分が下流や負け組といった意識を持つことはない。

劣等感を持ちながら生きていかなければいけないのか、それとも周りと同調しながらある種の中流階級として生きているのが良いのか。

こういったことを考えてみると、明らかにマサイ族の方が先進国の貧困層よりも幸福度は高いと言えるわけだし、それは十分に納得できる理論なのではないかと思う。

しかしながら、ある程度お金があるのなら、それと同じ理論で周りよりも富を持っていることで幸福を感じてもおかしくはなさそうな話。

しかしながら、実際のところ収入や資産が増えることによって様々な心配や不安も出てくる。

宝くじが当選したことを知られると、これまで付き合いのなかった親戚や知人が湧いて出て、分け前にあずかろうとしてくることによって、どんどん人間不信に陥るとか、結果的に人間関係が悪化していくというのはよく聞く話。

多くの場合、宝くじの高額当選者は数年以内に破産するばかりではなく、幸福度が下がってしまうことが繰り返し確認されている。

富裕層はそれに近い状態が常なので、幸せになっている部分とそうではない部分がある程度までは相殺される。


幸せの上限

そのため、アメリカであればだいたい年収が600万円くらいに達すると、それ以上に収入が増えたところで幸せを感じる時間はほとんど増えないと言われる。

これはあくまでもアメリカでの研究例なので、日本においては物価やステータスの感覚が違うので、また少し数字はずれてくるのではないかと思う。

特に日本の場合、中年以降の世代と若者との間に収入や資産を持つことに対しての憧れとか、ステータスの持つ威力とか、そういったものの違いが明らかに見て取れるので、若年層と中年以上の世代でもまた、ずれてくるはず。

個人的にはある程度の収入と資産がないと不安を感じるし、それは生存の本能に基づく恐怖となってしまう。

そういったものを克服するためには、当面、少なくとも半年以上は収入がなくなっても生きていける程度の貯金なり、その他の資産があってなおかつ、いざとなったら確実に収入を生み出せるだけの力を持っておくことが必要なのではないかと思っている。

最近はイケダハヤト氏の「年収150万円で僕らは自由に生きていく」という本も売れているようだし、どんどんお金に対する考え方は変わってきているのを感じる。

こういった価値観の変化は世の中の流れに合わせて常に起こってくることだし、こうした流れに時々目を向けてみるのも面白い。


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