自由と責任が本当は無関係である理由




自由には責任が伴うという誤解が、
どうも世間では当たり前のように言われている。

何を言っているのか理解に苦しむが、
そもそも一生不自由である前提で生きている人の言葉なので、
ろくに考えもしないで口から出てきているのだろう。



自由と責任がセットということは、
逆に言えば不自由には責任がついてこないことになる。

そんなバカげた話があるだろうか?


では、毎日遅くまで残業をしているサラリーマンは、
何の責任も負うことなく生きていけるのだろうか。

たしかに、彼らは失業しても社会的に保護される。

雇用保険に加入していれば失業保険の給付を受けられるし、
場合によっては社会正義のようにして
失業者を肯定して会社側を叩く人もいる。

マスコミもしばしばその論調に乗るし、
有権者の票が目当ての政治家が便乗することもある。



たしかに、彼らは自由ではないことと引き換えに
責任から逃れられている側面がある。

経営判断についての重責を担うことはないし、
しょせんは歯車としての範囲でしか責任を負わない。

そもそも裁量の範囲が狭いのだから、
結果に対して負うものは相対的に小さいのかもしれない。


ただ、彼らも自分の人生においては
自ら責任を持つしかない。

にも関わらず、世の中の多くの人はその意識が希薄で、
なんとなく周りの空気に合わせて生きている。

目に見えないレールが敷かれていて、
そこから外れることができないのはつまらないけど、
その分だけ手ひどい失敗は負わないという前提で。

根拠もなくダメージを避けられると思っている。



そもそも、自由かどうかによって
責任の大きさが変わるというより、
実際は影響力による部分が大きい。

たとえば、朝から晩まで働いている大企業の経営者は
不自由ではあっても社会的な責任は重い。

彼の判断1つで数百人、数千人、数万人の社員が動き
影響が拡散されていくのだから。

ほとんど権限のない新入社員と比べれば
圧倒的な重責が課せられることになる。


自由な人間を見れば嫉妬するし、
自分があきらめたものを持っている人、
特に若いだけで自由な学生等を見れば
イライラするのも分かる。

だからといって、
自由と責任がセットなんて意味不明な暴論もない。

そもそも生まれてきた時点で責任は発生していて、
勝手に不自由な人生を送っていようがどうしようが、
そんなことを言い訳にするのはおかしい。


頼まれてもいないのに捨てた選択肢を理由に
責任を放棄しようという神経が理解できないし、
無責任なのは誰なのだろうと思ってしまう。



他人の作ったレールに乗るということは、
その判断を自分で行ったことになる。

少なくともその段階では自由意志が認められ、
それ以降の判断を他人に委ねるという判断をしているのだから、
誰かが責任を取ってくれるというのは間違い。



自由であろうとなかろうと、
責任を取れない人間は軽蔑されるし、
極論を言えば生きていく資格もない。

他人に文句をつけるばかりで、
本来の自分の人生のコントロール権を勝手に放棄しているのだから。



自由を獲得すると、たしかに責任を自覚しやすくなる。

たとえば、私は海外居住者なので年金を払っていない。

法的に払う義務もない。

当然、高齢になっても給付を受けられないが、
その分は自分で毎月積立型の投資を行っている。


年金を払わない自由を駆使することで、
反動として将来の生活が自己責任になることは見えやすい。

そして、その対策は講じている。



逆に、年金を義務で払わされている人ほど、
それ以外に老後のことを考えていなかったりする。

無責任なのはどちらだろう?

国が引退後の面倒を手厚く見てくれないのは、
文句を言えることだろうか?



あるいは起業して仕事をするようになってから、
良くも悪くも結果がそのまま自分に跳ね返ってくるようになった。

幸いなことにサラリーマン時代よりも収入が増えたし、
働き方も柔軟になった。

たとえばオフィスに通勤する必要がないし、
世界のどこにいても仕事ができる。

働く時間にも制限がないので、
結果さえ出せば問題ない。

時間も場所も自由になったし、
出した成果への責任は明確化された。



では、サラリーマンとして雇われていれば
結果に対して何の責任もないのだろうか?

たしかに多少勤務態度に問題があったり、
仕事の成果が振るわなくても労働基準法等により
保護されているのは事実。

そのため、出した結果と待遇が一致せず、
相関関係が弱まっている。

ただし、これは能力・成果と報酬がずれているだけ。


しかも彼らが雇われていて不自由だから責任がないのではなく、
単に裁量の範囲が相対的に狭いだけ。

結局、責任が曖昧なだけで、
存在していないわけではない。

さらに言えば、
良い結果を出してもかなりの部分が
報酬として受け取れずに他の社員に吸収されてしまう。

これでは結果に対する意欲を失うのも納得できる。



とは言え、自分の人生が満たされたものになるかどうかは、
他人が解決してくれるものではない。

あくまで自力で道を切り開くもののはず。

不自由と代償に乗ることができるレールを求めることで、
その当たり前の法則から解放されるという考えが
そもそもの誤り。



それなら自由になったほうがいい。

日本という国には、
国民を守り抜けるほどの力はもう残っていない。

逃げ切り世代と呼ばれる高齢者はともかく、
私のような30代にとっては自力で未来を切り開くしかない。



自由でも、そうではなくても、責任は常に降りかかってくる。

その前提で考えれば、
他人の支配下にいるのは妥当な選択とは到底思えない。



メールアドレス

よく読まれている記事

1位:世界一周を日常に変える方法

2位:【無料】海外移住オンラインセミナー

3位:パワハラ・リストラからの人生逆転















本当に伝えたかったこと


メールアドレス
取扱い上の注意
執筆者、伊田武蔵
伊田のこれまで
カテゴリー
人気記事

ページの先頭へ