環境破壊と健康維持の観点から見た人間の理性の限界


冷静に少しだけ理性を働かせて考えてみれば、環境破壊や病気は予防する方が、はるかに安上がりな上に手間が少なく、問題を拡大させてから騒ぎ立てるのが愚かな行為であるということは、誰の目にも明白。

例えば、散々暴飲暴食を繰り返して、糖尿病になり網膜症や腎臓の病気など、深刻な合併症が出てから治療を行うより、成人病にならないように普段から食生活を整えておいたり、あるいは週に1、2回でもいいので運動をするとか、できるだけストレスのかからないような職場に転職した方が、長期的に見た場合に望ましいことは、特別IQが高い人でなくても分かり切ったこと。

しかしながら、実際に予防のための活動をしている人は少なく、どれだけ文明が発達し、統計的なデータが並べ立てられても、相変わらず成人病になる人は後を絶たない。


マクロレベルでも同様の問題が

これは個人の問題だけではなく、地球規模であったり、あるいは都市や国家規模の環境においても同じことが言える。

例えば、交通渋滞や排気ガスによる大気汚染のことを考えれば、車の台数をむやみやたらと増やすことは、社会にとって明らかに有害な行為であって、公共交通機関の充実であるとか、クリーンエネルギーの活用が重要であることは間違いない。

しかしながら現実に各国が行っていることを見ると、経済と環境のバランスに配慮するとか、あるいは新興国であれば先進国がかつてそうしてきたように、環境を侵害してでも経済を発展させることを行っている。

中国の黄砂や大気汚染の例を見てもわかるように、自国内のみならず、近隣諸国に迷惑をかけてまで、経済を発展させている例もある。

こういった環境被害によって、社会的にも大きな損失が計上されることになる。

例えば、大気汚染が原因で亡くなっていく人は、アメリカ国内に限定しても、毎年12万人以上いると言われている。

これは相当楽観的な数字なので、実際には15万人以上とか、様々な統計がある。

仮に12万人のみとしても、これを経済的な損失として換算した場合に、6千億ドル以上ということになる。

日本円にすれば、60兆円以上が毎年失われているということになり、いかに莫大な被害が蔓延しているかうかがえる。

こういったことも踏まえて、1970年にはアメリカにおいて大気浄化法が制定されているが、それによって得られる効果は、環境の整備にかかった費用と比べた場合、節約できる効果の方が大きいと見積もられている。

しかしながら、このように環境を良くしていく試みが、いかに軽視されているかということは、世界各国を見てみるとよくわかる。

そしてそれらの原因の1つは、短期的な思考を人間が行いがちであるということ。

個人の健康の維持ということについて考えてみれば、この点は明白。

自分のことですら、人間は長期的な展望にもとづいた判断ができない。

これが組織や国家になると、自分の在職中は問題を発覚させたくない政治家や役人も出てくるので、なおさら問題を先送りにし、在任期間中だけでも問題が表面化しないように事なかれ主義に陥るのは、日本のみならず、世界各国がたどってきた道。

こういったこともまた公共の利益を無視する要因となり、最終的にツケがどんどん膨らんで、後の世代に残されていくことになる。


よく読まれている記事

1位:海外移住の電子書籍を無料プレゼント中

2位:フィリピン永住権、クオータービザを取得完了

3位:マレーシアに移住して分かった生活費・ビザ・仕事・食事の現実



メールアドレス

ページの先頭へ