人生は短いという思い込みがもたらす予想外に大きな効用



楽しみを先伸ばしにしがちな性格だったので、
人生は短いという感覚はなかった。

むしろ、未来が今より良くなることを前提に
生きていこうというのが私の元々のスタンスだった。


それは哲学とか主義というわけではなくて、
幼い頃から自然に身についていた感覚だった。

ただ、30歳になろうとしている頃から、
体力的な衰えを感じるようになった。


特に30代になってからは体調を崩す頻度が増え、
偏頭痛によって寝込むことも月に1回を下らない。



そうなってくると、自由に動ける期間という意味では
人生は短いのかもしれないと思うようになった。


仮にサラリーマンを続けていたとして、
定年まで働いてから自由な生き方をしようとしても、
体がついてくるか疑問だった。

サラリーマンを辞めた今、
各国を旅したりすることに制限はない。

仕事はどこでも行える。



それでも自由を駆使しようとはしていなかった。

そして、40歳で人生が終わるという仮定で生きることにしたら、
急に行動力が出てきた。

残りの時間を有効活用しようとするので、
2年で海外20都市を旅したり、
マレーシアとフィリピンに下見なしでロングステイを始めたり、
それまでは考えられなかった決断ができるように。



実際にそこまで残された時間は短くはないのかもしれないし、
40歳になったから何かが変わるものでもない。

衰えはゆるやかに来るものなので。

ただ、期間は明確に区切らなければ危機感は生まれない。


そして、この危機感が人生の次のステージへの扉を開いてくれた。



もし無制限に時間が残されていると思っていたら、
何となく毎日を暮らしていたはず。

旅行の計画も先延ばしにして、
来月は来年になり、来年の予定はいつ到来したか・・・。


人生は短いという感覚こそが、行動力の源泉になっている。



終わりがあるからこそ、今のうちに楽しんでおきたい。

もしも長く生きることができたとしたら、
それはラッキーだったということで済む。

別に悔やむことではないし、
何の問題も生じないのだから。



実際問題として、40歳までにやりたいことをやり尽くして、
生きることに価値を感じられなくなるとは思えない。

むしろ、凝縮された生き方をすることによって、
自分が本来求めていたものに近づけている。

目的を明確にして、毎日を過ごせる。


この感覚は新鮮だった。



後悔のないように生きるためにも、
人生は無限ではなく思いの外短いと考えることは効果的。

そういう感覚がなかったら、
ラオスのルアンパバーンという名前すらなかなか覚えられない村で、
アジアが持つ美しさに息を飲むような体験もなかったはず。

ルアンパバーンを知らないで人生を終えていたらと思うと、
あまりの虚しさに恐ろしくなる。



30歳になった時、
平均寿命を見て50年近くの時間が残されていると思うのか、
あと10年という短い期間ですべてをやり尽くす前提で生きるのか、
その選択を誤らなくてよかった。

私は終わりが見えないと行動しないタイプだし、
特に自分のテリトリーから出ようとしない。


いつだって決断にはきっかけがいる。

そのきっかけを作り出すために、
短い人生で完全燃焼するという覚悟が必要だった。



幸い、そういう気持ちで過ごしたとしても、
案外無理はしないもの。

結局、これまでがダラダラしすぎていただけで、
今だって短距離走のようなつもりでマラソンを走っているわけではない。

継続可能なペースで過ごしている。


少しピッチが上がっても息は切れないし、
苦しくもならない。

そのことが分かると、ますます次の動きに移りやすくなる。

自分の限界なんて思い込みだったと分かるのだから。



どんどん移住をしても困らないし、
次々に海外旅行に出れば新鮮な刺激を受けられる。

飽きることもない。


そんな感覚が得られた今、
人生の終わりを意識しながら悲壮感なく暮らしている。

30代後半になって、40歳が近づいてくれば
集大成にしようと思ってますます動きは加速するはず。

そこまでに得た知識や経験は
今のレベルからは想像もつかない。


きっと面白いことになるのだろう。

今からその時期が楽しみな反面、
仮にその前に死んでも悔いが残らない生き方をしたい。



安定は現実世界の対極


3ヶ月ほど前、
知人の知人がパラグライダーの事故で亡くなった。

世界一周中の出来事だったらしい。

マイルを貯めてビジネスクラスの旅をしている際、
どこかの国で事故にあってしまった。

インストラクターと共に飛び立ったのに
死亡事故というのも悲劇。

プロと一緒でありながら、そのような結果になってしまうとは。

彼は30代なかばだった。



若くして亡くなる人というのは案外いるもので、
30代の友人と話しても何人かは思い当たるもの。

10代の時に知人がバイク事故で亡くなったこともあったが、
この件はある程度普段の行動との因果関係はあった。

日頃から素行が良くない人物だったので、
平均よりも命を落としやすい行動は取っていたので。

私は日頃の彼を遠巻きに眺めていただけだったが、
事故の話を聞いて衝撃を受けるというより、
どこか納得した部分があった。


その一方で、まったく理不尽に、
本人の落ち度がない場合もある。

若くして癌をはじめとした病気になる場合とか、
過失のない事故に巻き込まれるとか。


そして、そうしたリスクは年齢が上がるほどに
身近になっていく。

30代なら安心かといえば、そんなこともない。

平均値や中央値はあくまで目安で、
むしろ世の中は不条理に満ちている。

逆に安定というのは自然界のあり方の対極で、
人間が脳内で作り出した理想郷でしかない。

そもそも世界は安定しておらず、
人為的に安定を求めてきたに過ぎない。


たとえば食料の確保にしても、
この100年ほどで劇的に状況が変わっただけ。

それまでは不定期に干ばつや疫病、日照不足等で
農作物が不作な年があり、飢饉も起きていた。

食べるものすらも不安定というのが、
本来の世界のありかた。


まして個々の人間の命なんて、
いつ尽きるかわかったものではない。

だからこそ、人生は短いという仮定が必要になる。

私たちはゆるやかな変化を敏感に察知しやすく作られてはいないし、
それゆえに老いにも鈍感。

しかし、肉体は日々確実に老化している。


10年後に生きている保証もなく、
無事だとしても今よりも身体は衰えている。

それなら、今のうちにやるべきことは沢山あるはず。

そんな前提に立つことで、
先延ばしの癖をいくらか手放すことができた。


いつ何が起きても悔いのない生き方ができているか?

時折、そんな問いかけを
自分自身に投げてみるのもいいのではないだろうか。



今の延長を計算してみると?


この数年間を振り返った時、
あなたは何度旅行に行っただろう?

仮に年に1回だとすれば、
今の人生がそのまま続いていったとして、
大まかに80歳から現在の年齡を引いた数ということになる。

もっとも、最後の方はそれだけの体力がない可能性もある。

定年後は旅行三昧と楽しみにしていたのに、
実際に会社を引退したら体力がないことに気付き、
かつてのように旅を楽しめないことに気づいた男性もいた。



旅行、帰省、食事。

これらは大体の回数を計算する事が可能。

そして、計算すると意外に数が限られていることに気づく。

人生が短いというのは、
反復する出来事を計算すると実感できる。

もっと言えば、
年末や正月、クリスマス等を迎える回数は
寿命までの年数と一致する。

あなたが35歳であれば、
残りは40回〜50回前後であることが平均。

そう考えると、
無意味な時間を過ごしている場合ではない。


ちなみに、日本の新刊の書籍が発行されるペースは、
ある年では7万2000冊程度とのこと。

大体1日に200冊ほど新しい本が生まれていることに。

これだけ見ても、
人生に退屈している時間なんてないことが分かる。

暇つぶしのような生き方をしているほど
世の中の可能性は小さくない。

そう考えた時、
仕事の仕方も生き方も変えることを決めた。

結果、時間をいかに有効に使うかを
自分の意志で決めることができるようになったのは
何よりの幸い。



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執筆者、伊田武蔵
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