海外に移住して気づいた、自分が恵まれているへの無自覚



最近はすっかりバンコクの暑さがひどくなってきて、こちらにやってきた当初のような意外にも凉しいという感覚はすっかりとなくなった。

三分ほど外を歩いているだけでも汗が噴出しはじめ、手の甲がびっしょりと湿ってくるほど。

それはそうと、こちらでは多くの人たちが日本人にくらべると低い賃金水準で働いていたり、あるいは家もあまりきれいとはいえないところに住んでいることが多々ある。

しかしながら、多くの人が日本人よりも自分を不幸だと思っているかというと、そういった雰囲気はまったく感じず、むしろタイ人の方が東京で暮らしているビジネスマンよりも人生を楽しんでいるのではないかという感覚すらある。

日本の高度経済成長の頃を考えるとわかるように、新興国の人々は活力があるし、未来への絶望や不安がない分だけ明るい雰囲気が漂っている。

これはタイに特有の話ではなくて、フィリピンやマレーシアにおいてもまったく同じことがいえる。

さらにいうと、南国では基本的に気楽な性格をしている人たちが多いので、そこらへんも人生を楽しむ上でいい方向に働いているらしい。

翻って日本を見てみれば、自分のことを幸せだと考える人はかなり少ないだろうし、そういった楽観的な考え方をしていることは、どちらかというと馬鹿にされたり揶揄されたりする機会が多いはず。

そういったことを考えてみると、自分の足元にある幸せに気づいていない人は、日本においてかなり多いのではないかと思う。

周囲と比較するときに比較対象になるのが自分の身の回りの人たちであって、国境を隔てた向こう側の人と比べるというわけではないので仕方がないところもある。

いくら海の向こうに時給100円で労働をしている人がいたとしても、時給800円でコンビニのバイトをしている人が優越感を得ることはないわけだし、そもそも生活コストも違うわけなので、まったく比較にならないと吐き捨てて終わりにしてしまうということが多いはず。


しかしながら、結局のところ幸せはみつけるものという話があるくらいで、自分がどのように人生を定義するかということが最も重要なことになる。

そのため、人生の最後の段階で幸せをつかめばいいという人もいる。

これはかなりの極論で、それまでの人生がずっと年以上にわたって不幸で、最後の一瞬だけ幸せを感じたとしても、それでチャラになるとは個人的に思わないが、どのような恵まれた環境にいるか考えてみると、日本人の幸福度は若干上がるのかもしれない。

どれだけ貧困にあえいでいても基本的には寝るところがあるわけだし、食べようと思えば三食食べることができる。

仮に健康的な食品でなかったとしても一生食物は食べられるわけだし、平均寿命より仮に10年間早死にしたとしても70年くらいは生きられるわけなので、過去の時代と比べれば圧倒的に有利だし、今現在のほかの国々に比べても劣っているわけではない。

そういった目で見てみると、日本の中で恵まれないという感覚を持ちながら生きている人たちも、また違った面が見えてくるかもしれない。

もちろん、日本で稼いでタイに外篭りに行くとか、そういった選択肢があるだけでも随分とめぐまれた国に生まれたのではないだろうか。

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