南国ナウルの歴史には学ぶことが多い


南太平洋には、ナウルという人口が約1万人の小国がある。



ナウルは鳥の糞で出来た島と言われており、かつて目立った産業はなかった。

しかしながら、その土地にはリンが豊富に含まれていたため、資源国として一躍脚光を浴び、とても豊かな国になった。

これは中東の産油国と同じような構図で、資源によって国民が働く必要がなくなり、事実としてリンが一大産業になった当時のナウルの国民は、ほとんど遊んで暮らしていたという。

メイドを雇ったので家事をする必要がなく、インフラの電気やガス、病院での医療は全て無料となり、島の小さな病院だけで対応できない疾患や負傷については、国のお金によってオーストラリアのメルボルンの病院に転院することが可能となった。

つまり、医療費やインフラの費用が、全て無料になった。

さらに言えば、教育の面についてもとても強化され、高校生になればオーストラリアで、大学生であればアメリカやイギリスへ留学することができた。

これらも全てナウルの国家が出してくれるので、家庭の支出から出す必要はない。

まさに夢のような話だし、ただ単に教育機会を提供するだけで、所得水準や労働力が上がるという仮説が成り立つのであれば、この時代のナウルは国家としてどんどん力をつけていったことになる。



リン暴落がナウルにもたらしたもの

実際にはナウルの栄光は続かず、リンが暴落したことによって国が見る影もなく衰退していった。

これは、宝くじを購入して高額当選した人の運命に似ているところがある。

ただし、ナウルの人たちも、さすがにそこまで楽観的だったわけではなく、アメリカやオーストラリア等に不動産を購入したりして、将来には備えていた。

しかしながら、利用していた不動産業者が悪かったこともあり、結局それぞれの資産が問題を抱えてしまい、経済的に十分な状態ではなく、ナウルにある唯一の銀行も全く機能しなくなってしまった。

銀行が倒産したわけではないものの、金庫には現金がなく、実質的に引き出すことが出来ない状態。

そのため、月に2回ほどしか窓口も開かない状態。

一時期は高級車を一家で5台以上持つのが普通で、まさに高等遊民のような生活をしていたナウル人も、こうして没落して経済的に困るようになり、結局各国の支援を頼るようになった。

例を挙げれば、パキスタンからの難民を引き受ける代わりにオーストラリアから3千万オーストラリアドルの経済援助を受けたり、あるいは台湾や中国から経済援助を受けたりして、どうにかやりくりをしている。

しかも、リンの価格が高騰したバブルの時期に飽食が一気に進み、糖尿病の人が激増したという。

平均寿命は50歳以下で、歴代の大統領も糖尿病で亡くなっている人が多いのが、ナウルの現状。

しかしながら、貧しくなったおかげで、食生活や運動不足の問題が見直されてきたので、むしろリンの価格や産出量がバブルの状況だった時よりも、健康面では改善が見られるという皮肉な結果になっている。

結局のところ、ただ単に資源で潤っただけでは、棚からぼた餅の収入でしかなく、結局それによって国の本質的な力が上がるとか、あるいは国民の能力が向上するとか、そういったことがない。

これは国家であっても、一個人であっても何も変わらないというのが、ナウルの歴史からひも解くことができる残酷な摂理。


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