サラリーマン以外の生き方を求めたら家すらなくなった・・・


サラリーマン以外の生き方を求めた結果、
起業家として成功するか、専業主婦になるか、
フリーターとして労働をするか、
転落人生を送るか?

このあたりが代表的な選択肢だろう。

投資家になるという手もあるが、
大した元手のない投資はギャンブルに近い。

ただ還元率が高いだけで。


私自身、組織の中で働くことには抵抗感があった。

学生時代も学校に帰属意識や愛着を持てなかったし、
バイトをしてもやる気になれなかった。

無能な上司のもとで働くことに何の意味があるのか?

そんなことで定年までの40年も人生をすり減らしていいのか?

疑問は強かった。


とは言え、生活のためということもあり、
一度はサラリーマンとして就職した。

それ以前には他の生き方がないか模索するため、
図書館で借りたビジネス書をひたすら読みあさったりもしたが、
それを実行に移すことはなく・・・。

結局は安泰に見える道に飛びつくことになった。


しかし、就職後に分かったのは、
その会社がいわゆるブラック企業だったこと。

小さな会社なので情報もあまりなく、
入社するまでは予想していないことだった。

しかも私の部署の上司は社内でも問題視されていて、
パワハラで何人も部下を辞めさせていた。

そのために常に人員不足になっているのが
私が採用された実際の理由だった。


毎日上司に恫喝・罵倒される日々を送るうちに、
会社組織で働くことへの漠然とした抵抗感から、
リアルで強烈な独立への渇望へと気持ちが移った。

給料が安くて食べられるものも限られていたので、
昼休みは立ち食いそば等で手早く済ませて本屋に直行していた。

そこで情報を仕入れるため、残り時間は立ち読み。

本屋で得た情報を帰ってから実行していた。



20代でサラリーマン以外の生き方をするには、
自分でビジネスをするのがもっとも手っ取り早い。

とは言え、資金があるわけではないし、
スキルらしいスキルもない。

資格は日商簿記2級を持っていたが、
どうかんがえても起業の際に武器になるとは思えない。

条件が厳しいのは明らかだった。



まずはいかにして資金をかけずに稼いでいくかに焦点を当て、
独立に向けて退社後の時間と休日を割り当てた。

結果として、独立することに成功した。

具体的に私が何をしたかは
メルマガで詳しく説明しているので、
ここでは割愛し、
サラリーマン以外の生き方を実現したことで
手に入れることができたものについて語ろうと思う。


鏡の中世界へ

独立後、オフィスを構えるわけでもなく、
社員を雇うわけでもなく、
一人で仕事をしていた。

資金がかからず、利益率が高く、
自動化もしやすいという条件はやりやすかったし、
他人との関係に悩まされることもなかった。

というのも、取引先や顧客と関わることが
原則としてなかったので。


労働と言えば、
上司に理不尽な罵声を浴びせられながら行うもの、
という観念があったサラリーマン時代とは異なり、
平穏な気持ちで収入を稼げるという現実に驚いた。

それは鏡の向こう側の世界に飛び込んだかのように
異次元な世界に思えた。

会社に勤めていた頃には、
どれだけ欲しても無意味にしか思えなかった人生。

それをたしかに得ることができた。


しかし、人間は贅沢な生き物で、
心から渇望した穏やかな日々では
やがて物足りなくなってしまった。

収入はサラリーマン時代よりずっと増えた。

ストレスの元になるような人間関係もない。

ただ、変化や刺激が足りない。

間違いなくサラリーマン時代よりも
幸せな生き方はできているのだが、
さらに一歩を踏み出してみたい。


そんな思いが募っていた時、
ふと海外移住の情報に触れることがあった。

この段階で、私が日本を出て旅行に行ったのはたった1回だけ。

それは独立前、というより就職前の話で、
資金の制約もあってのんびりした旅ではなかった。

もっと暮らすように旅したいと思った記憶が
不意に脳裏をよぎった。


日本に住む必要がなくなっていた


先入観を脇にどけて客観的に考えると、
私が日本に居住する必然性は特になかった。

ビジネスは特に場所を問わないので、
海外にいても継続できる。

惰性で住居について考えていなかったが、
東京にいても、福岡にいても、僻地にいても
ネット環境さえ整備されていれば問題ない。

そう考えた時、
海外移住は思ったより難易度が低いのではないか?

そんな仮説が頭をよぎった。



とは言え、私は留学経験もないし、
周囲も海外生活をしている人なんていない。

不安もあったが、
サラリーマン以外の生き方ができるようになったメリットとして、
海外に住んでみるのも面白いのではないかと思い、
ひとまずマレーシアに引っ越すことにした。

永住を前提にしていたわけではないし、
まだ当時はマレーシアを訪れたことすらなく、
大好きな国だったということでもない。

情報を見る限り住みやすそうというだけで、
ひとまず現地に行って暮らしてみることにした。

下見もなかったので、
あまりに環境が悪ければ移住を中止して
日本に戻ってくればいいだけ。


固い決意も明確な動機もない海外生活のスタートだったが、
無事に2年をマレーシアで過ごした後、
さらなる新天地を求めてフィリピンへ。

マニラ市内のマカティエリアでコンドミニアムを借りた。

個人的にはマレーシアよりフィリピンの方が暮らしやすかった。


そして家を失った


フィリピンと言えば、
世界一困窮邦人が多い国として知られる。

困窮邦人というのは、
海外において収入や資産を失って無一文になり、
生活に困っている日本人のこと。

典型的なパターンとしては、
現地でフィリピン人の彼女ができ、
場合によっては結婚、
その後に彼女名義で不動産を購入したりして
お金がなくなったところで捨てられるというもの。

彼女一人ではなく、
家族・親族ぐるみでの犯行であることが多い。

こうして満足な生活費もなく
路上に放り出されて途方に暮れ、
モール・オブ・アジアの近くにある大使館に駆け込む日本人は
他のどの国よりも多数にのぼる。



私の場合もこの手口に・・・はまったわけではない。

たしかに自宅を持たなくなったのだが、
部屋を借りるお金を用意できなくなったのではない。

ビジネスはマレーシア時代も、
フィリピン時代も順調に進んでいる。

ただ、海外に出てからは
住環境を強く意識する生き方になった。

次に住みたい国・街を常時探すようになり、
ビザについてもアンテナを張るようになった。


結果として、フィリピンの後は自宅を確保せず、
ホテルに宿泊しながら各国を周ることにした。

これならビザを取得して住むよりも
ビザの面での手間が大幅に減る。

滞在コストはコンドミニアムの家賃よりも上がるが、
それだけの体験価値はあるだろうということで。



ということで、
マカティのコンドミニアムを期間満了とともに退去した。

オーナーは引き止めてくれたが、
ホテル生活をスタートする意思は揺るがなかった。



サラリーマン以外の生き方を求めた結果、
いつの間にか海外に住むようになり、
さらには拠点となる自宅すら不要という結論に至った。

当初望んでいたよりもずいぶん多くの成果を得てしまった。

別に一生自宅を持たない決意があるわけではなく、
飽きたらどこかの国に住むことになるだろう。

生き方を固定する必要はなく、
むしろいかに可変性や流動性を高めていくかが
変化の大きな時代を上手に生き抜くコツになると思っている。

そして、国境を越えながら自由に生きていくというのは、
グローバル時代のサバイバル方法としては
有効なのではないだろうか?


そんな仮説がたった以上、
自分自身を実験台として試してみる日々は続く。



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執筆者、伊田武蔵
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