論理的に考えると社会生活は捨てるべき


人は感情や習慣、周囲の人間等の様々なことに影響されて、人生を決断していくが、論理的に考える限りでは、一般的な人生のレールを歩ことは、合理的とは思えない。

これが60代とか70代であれば話は別だが、今現在の20代とか30代のように、これから先の人生がまだまだ残っているという場合においては、昭和の時代に通用していたロールモデルを、踏襲するほど愚かなものはない。

私達の世代においては、就職しても安い給料でこき使われ、それでいてかつてのように、年功序列での右肩上がりの給与体系や、終身雇用というのは保障されていない。

論理的に考えてみると、50代や60代の世代に比べて、圧倒的に不利な労働体系で、仕事をしなければいけないことになる。

もちろん、他に選択肢がないのであれば、かつての時代のことをうらやんでも仕方がないし、そんなことを言いだしたら、ギリシャ時代の映画の極みとか、ローマ帝国の皇后とか、そういった何の関係もない話まで出てくるわけで、たまたま団塊の世代が接点のある相手であるからといって、時代の変化を恨むようなことだけを言っていても、無駄なことは事実。

しかしながら、前時代的な価値観の押しつけに対しては、ハッキリと拒絶をするなり、適当にくぐり抜けるなり、自分なりの対処をしなけければいけない。

間違ってもやってはいけないのは、右へなれいで古い考えに、盲目的に従ってしまうこと。

これはまさに論理的に思考するということとは全く逆のことで、盲目的追従というのは、もはや知的生命体としての本懐を捨てることに他ならない。

前時代的な人生のロールモデルとしては、高校や大学、短大や専門学校を卒業してからサラリーマンになって、極力転職をすることなく、定年まで勤め上げるということが、理想とされるわけだが、こんなものは現代社会において美徳でも何でもなく、そもそも一般的に人が働く期間というのは、だいたい40年ぐらいになるわけだが、会社の平均寿命がそれよりも短くなっているわけなので、転職をする気がなくても、会社が倒産するということは、往々にしてありえる。

更に言えば、リストラ等の不慮のトラブルというのもあり得るわけだし、自分の希望がどうであれ、最初に入社した会社で、生涯のプロフェッショナルとしての人生を締めくくれる可能性というのは、かなり低くなっている。

そして一つの会社に身を置いたからといって、給料が上がっていくとも限らず、論理的には勤続というのは、たいした価値を持たなくなっている。

しかしながら、人間というのは変化を拒むものなので、退職をするよりは、今現在の仕事にとりあえずしがみついておくことの方が、快適に感じがち。

もちろん妄想の世界の中で、上司に退職届けを叩きつけてやるとか、そういったことを考えるのは楽しいかもしれないが、実際に生活がかかっている中で、それを実践するというのは、なかなかの思い切りがいる。

そういったことを考えると、感情に振り回されて、論理よりも気持ちで動いてしまう人が多いというのはよくわかる。

しかしながら、本当にそれでいいのだろうか。


論理と感情の対立

あなたは夏休みの宿題を計画的に行っていくタイプだっただろうか。

世の中の統計としては、大多数の人は、夏休み終了直前になってから、片付けようとしていたのだろうと思う。

つまり、必要であることはわかっていても、それを先延ばしにしてしまうというのは、人間の習性のようなもので、これは夏休みという約40日の期間に限っても見られるもの。

まして、大学を出てから定年をするまでの間が40日どころか、40年ということで、約365倍になっても、状況が一変するかと言えば、必ずしもそうではない。

論理的に考えると、しっかりとしたキャリアプランを作って、それをライフプランとも連動させて生きていくのは、理に適っている。

しかしながら、そんなことをしている人が世の中にどれだけいるだろうか。

就活をする大学生は、そもそも会社で働くということや、社会人になるということについて、イマイチ理解していないことも多い。

これは単純に経験不足で、仕方がないところもある。

しかしながらサラリーマンになってからも、今後の人生について、自分で責任を持って計画を立て、それを実行に移すというタイミングを迎えている人は少数派であるはず。

結局は成り行きの方が優ってしまっているというのが、一般的な生き方で、それは論理的に考えると、長期的に大きな損失をもたらすことになる。

これだけの不自由を我慢しているのに、収入が一向に増えないとか、人生の先が見えてしまったとか、逆に明日が見えないとか、そういった愚痴をこぼす人は多いが、そもそも乗っかっているレールが間違っているわけで、正しい目的地に辿りつかないのは当然のこと。

そこで、ある人たちは、リスクを取って、自分の道を切り開こうとする。

例えば、起業するというのも一つの方法だし、自分なりのライフプランを立てて、転職をするというのもあり。

しかしながらこういったパターンというのは、あくまでも少数派で、大多数の人は、別のレールを求めてしまう。

つまり既定路線が新しくなることを要求するだけで、残念ながら社会の変化に対して、常識が変わっていくスピードというのは、圧倒的に遅い。

つまり、誰かから与えられる価値観で対応しようとしたら、社会の変化にはとても間に合わないということ。

そう考えていくと、自らの頭で考えるということは、必須になってくるし、その時に論理を使っていくというのも当たり前のこととして、必須事項になる。


論理的な行動は一見不可解に見えることがある

私の体験を少し話すと、サラリーマンを辞めることを決断し副業を始め、そして念願叶って独立してから、数年経って生活は安定したものの、毎日に張り合いが内容に感じられるようになった。

そしてふと考えてみると、私が日本にいなければいけない理由というのは、論理的に何一つなく、日本で生まれ育ったというだけで、惰性以外の何物でもなかった。

そんな理由で海外に移住をしたりしたこともあるし、その結果としてフィリピンやマレーシアで3年以上暮らし、フィリピンにおいては、永住権まで取得した。

それでも別にこれらの両国に、住み続ける必要もないわけなので、別の国にも住んでみようと考えた。

しかしながら、ビザの手続きというのは煩雑で、一筋縄ではいかない。

そう考えてみると、どこかの国にハッキリと居住をする必要はなく。

色々な国を回りながら、生活をするというのもありだという結論に既決し、自宅を構えるのではなくて、ホテル暮らしをすることにした。

これも、ビザのことを論理的に考えれば、辿り着く結論で、突飛な発想によって、そういった考えに至ったわけではない。

確かに、30代でありながら、自分が住む家もないというのは、一見すると異常なことだと思う。

しかしながら、その不可解にも見えることの裏には、これまで積み重ねてきた人生の必然があるわけで、それは論理的に、考えればいらないものをどんどんたまたま私のケースにおいては、辿り着いた答えだった。

そして他人からの評価や常識、あるいは誰かの噂話を気にするよりも、論理的に考えて行動することによって、確実に人生の質というのは上がり、自由になっていくのを感じている。

目に見えない常識の鎖というのは、大きな部分は自分自身の頭の中で勝手に作り出している幻想で、そんなものは関係ないと切り捨てることさえできれば、世界は大きく変化するということを、私自身も体験してきたし、そして身の周りにいる人達を見ても、同じことが言える。



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執筆者、伊田武蔵
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