世界の平等が日本人を追い詰める


2025年の世界においては、今の世界の在り方とはだいぶ状況は変わっていると予測される。

実際今現在も、中国やインドを始めとした新興国、あるいは後進国と呼ばれている国も含めて、様々な国でパソコンやインターネット、更に言えばスマホを使ったネット利用というのが広がっている。

例えばフィリピンという国を見ても、既にネット環境はだいぶ整ってきているし、パソコンを持っている人はそれほど多くない反面で、iPhoneやiPadを使っている人というのも町中ではよく見かける。

こういった形で、情報源に直接アクセスを出来たり、クラウドソーシング等の働き方をできる新興国の人間というのが増えていくということは、それだけ情報格差というのは是正されることになる。

これまでの世界においては、生まれた国がどこであるかということが、所得や豊かさをかなりの部分で規定してしまっていた。

その為、アフリカに生まれたら、成功するチャンスがほとんどないとか、日本に生まれることによって、そこそこ頑張って働くだけでも、世界の中でトップの20%ぐらいには簡単に入れるとか。

そのようなある意味では理不尽な偏りというのが生まれていた。

しかしながら、今後職業の控えであったり、あるいは教育の控えというのがどんどん増えていくことによって、こういった状況というのは自制されていく。

日本でも慶応大学等の一部の大学は、講義の内容というのを無料で公開しているし、これはハーバード大学等の世界の中でも名門と呼ばれる学校であっても同じこと。

こうして、学ぶ機会というのが増え、更に言うと、世界のどこにいても仕事ができる環境というのが増えてくれば、モチベーションの高い人や、本来の能力が優れている人が脚光を浴びる事になる。

当然ながら、先進国だけではなく、東南アジアやアフリカを初めとした、これまでは豊かさの恩恵を受ける機会が少なかった国の人々にも、チャンスは回ってくる。

そう聞くと、いかにも平等に世の中が動いていくので、望ましいことではないかと考える人も少なくないのではないかと思う。

しかしながら、今現在の日本人の暮らしというのは、不平等の上に成り立っているわけで、こういった平等の方向に動いていくことで、日本人は利権を失っていくことになる。

では、どのようなことが起こるかと言えば、今以上に日本人というのは貧困化するわけで、更に言えば格差も広がっていく。

常に一部の成功者というのは、絶対的に存在するわけで、大部分が落ちていくだけという扱いになる。

そうなると、インドや中国、あるいはアフリカや南米、こういった国々が、追い上げてくるということは、相対的に見て、日本人が行うべき仕事というのはどんどん減っていく。

教育一つをとってみても、日本人の大学生というのは、講義に出席することもろくにしないし、下手をすると、試験の時だけ大学に行って、普段は全く登校しない学生すらもいる。

これに対して、世界中で一流大学の講義を学びたいと思い、ビデオ受講を自分の意思で行えるような若者たちが出てくるというのは、ある意味では脅威だし、それによって日本人がすぐに発憤して、これまでの態度を一変させるとも思えない。

そうなってくると、どんどん日本にとっては、厳しい社会が到来するのではないかと考えられる。


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