フィリピン・タクロバンで起きた惨状に世界標準の意識を垣間見る




フィリピンを襲った台風30号によって、タクロバンというフィリピンの一部の地域は大きな爪痕を残す事になった。

2013年フィリピン台風30号災害 現地調査写真レポートに多数の現地の写真が掲載されているので、ご参考に。

さすがに災害慣れしている事もあってか、日本ではすぐに募金への呼びかけが始まっていた事をインターネットで見る限り感じていた。

その一方でフィリピンにおいては、募金の呼びかけ等を街中で見かける事はほとんどなく、数少ない募金の呼びかけも台風から一週間以上たった後の話だった。

そして、タクロバンにおいては略奪が横行し、銃を持って強盗に押し入る人達も殺到したという。

日本人から見ると恐ろしい事だが、フィリピンにおいてはある意味通常の事だし、それどころか世界においてもむしろこれがスタンダードという現実がある。

日本人が東日本大震災の際に整然と行動を取って配給の食料を受け取っていた事は、世界でも美徳として紹介された。

逆にいえば、驚きと共にそれが迎え入れられるという事は、普通では考えられない事が窺い知れる。

そして、フィリピンにおいてもこれは同じ事で、災害による困窮状態で略奪が起きた事は通常という受け止め方がされている。

これは、タクロバンの現地に限った事ではなく、フィリピン人が全体として持っているムード。

おそらくアメリカやイギリスのような先進国においても、これは仕方がない行為として見なされているはず。

むしろそれを恐ろしいと考えてしまう日本人の方が、世界標準から外れた特異な認識を持っている民族という事になる。

もっとも、特別だから悪いという事ではなく、むしろそれは日本人の道徳感の高さを証明することであるし、日本人として誇らしい事でもあったりする。

とはいえ、海外で災害を経験した場合には、そういった環境が平気で顕現すること認識しておく必要があるし、日本の中でも外国人が多いエリアにおいて、地震等の災害があった時にはこうした危機に直面する可能性があることは頭の片隅には入れておいた方がいいと思う。

日本国内でも六本木のようなわかりやすいところ以外でも、外国人が多く住み着いているエリアはある。

こういった部分では日本の常識が必ずしも通じるとは限らないし、数少ない屈強な男達が暴れ出すだけでも十分に大問題となる。

災害による直接的な被害とその後に起こる二次的な人災、この両方が危険であるという認識を持っておかないと、せっかく災害で生き延びたにも関わらず、その後に負傷を負ったり、命を落とす事にもなりかねない。

フィリピンの台風の報道をマニラで見て、そういった事を感じた。

とても残念な事ではあるが、世界は今だに残酷だし、秩序立っているわけでもない。

まだまだ多くの理不尽が眠っているし、何かのきっかけがあればそれは目を覚ます事になる。

それに対抗する為に自分も力を持つのは確かに考え方の一つではあるが、所詮個人が持てる力には限界もある。

そうなってくると、危険をすばやく察知して回避する知恵が重要になってくると、海外で暮らしていて切実に思うようになった。

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