飲み会で話題を探す必要がなくなった理由




20代の頃は飲み会に行くと話題を無理に探さなくてはならず、
それが苦痛でしかなかった。

会話が苦手な私としては、
興味のない人とどうでもいい話をして時間を過ごすのが
ストレス以外の何物でもない。

無理に盛り上げるのも嫌だったし、
なんだか地に足の付かない気持ちで
うわべだけの会話をしていた。



そんなことに人生を切り売りするのも嫌になり、
飲み会に行くのを一時はやめた。

さすがに会社での忘年会のように
事実上の業務のものは出席せざるをえなかったが、
会社を辞めてからはそんな必要もなくなった。


話題が見つからない飲み会からも解放され、
かなり気楽に暮らせるようになった。



そんな風になって30代を迎え、周りの人間関係も変わった。

自分でビジネスを始めたので、
職場での飲み会というものはない。

気が合う人とだけ会えばよくなったし、
幸いなことに仕事上の気が進まない付き合いやしがらみも
存在しない形でやっていくことができている。



話題すら見つからないほど興味のない相手とは
そもそも会わない。

こちらとしても人間関係を選べるので、
とどこおりなく時間をつぶすためだけに
心を砕く必要はなくなった。

飲み会の話題にしても、
興味のある相手となら話も自然に盛り上がる。

会話が苦手だった私でも、普通に話すことができる。



話術を磨くのも1つの方法としても、
相手を選ぶというのも重要な方法だと思う。

その方がストレスなく楽しく過ごせるし、
人生の質も上がるはずなので。



自分の人生に関与してほしくない人と飲み会を同席して、
つまらない話をするのは時間の浪費でしかない。

その時間に、もっと意味のあることをしたいし、
それなら本でも読んでいる方がずっといい。


飲み会で話題が見つからないなら、
とりあえず天気や相手のファッション・趣味の話をすればいいとか、
そういうノウハウのようなアドバイスがあるのも知っている。

ただ、それは小手先の話でしかなくて、
そんな風にして一時しのぎをしたところで 
本当の意味での満足は得られないはず。

気まずさを遠ざけることができただけで、
本質的に満足を得られたのではないのだから。



テンプレートになった話題を提供して相手に話してもらって、
自分は適度にあいづちや質問をはさむ行為の
どこに楽しみがあるのか?

その時間は本当に活きた時間と呼べるのか?


そう考えると疑問を持たざるをえない。



出る価値のない飲み会になんて呼ばれないとか、
誘われても断れる立ち位置を得ることの方が
小手先の話題提供術よりもずっと価値がある。

極度の口下手でない限り、
自分が関心のある人や気の合う友人とは話せるのだから、
そういう人と付き合っていけるようにしたい。



別に特定の少数の人とだけ関わって
狭い世界の中に閉じこもるのがベストと主張しているのではなくて、
あからさまにどうでもいい相手と会いたくないということ。

何も興味の対象になる要素がない人だったり、
いかにも邪魔くさそうな人とは関わりを持ちたくない。

逆に自分が魅力を感じる人の知人だったら、
その時点で興味がわく。


そういう部分で新しい人に会っていきたいし、
質にこだわりながら世界を広げていきたい。



バイト先やサラリーマンとしての職場の中で
飲み会を何度も開いたところで、
偏った人間しかいないのだから
本当の意味で世界が広がる可能性は低い。

似たような属性の人間が集まって、
リピートしているかのように毎度おなじみの話題をおさらいしても
進歩がないのは当然なのだから。


そういう時間の使い方はしたくないし、
そんな集まりには出たくない。

あの状況から抜け出すことができて、心からよかったと思う。



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執筆者、伊田武蔵
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