住み慣れた我が家をあっさりと捨てる生き方


羽田空港がアジアのハブ空港になれなかった原因の1つとして、空港を拡張できなかったこと、そのため路線が限られていたことが指摘されている。

就航便をこれ以上増やせないとなれば、上海や仁川に遅れを取るのは仕方ないことで、案の定世界のハブ空港争いから羽田空港は早々に脱落した。

中国は北京オリンピックや万博の際に、住民を半強制的に追い出して、まとまった土地を用意してスタジアムを作ったことで悪い意味も含めて注目されたが、強権的な力を発動してグイグイとひとつの方向に向かって政策を進めていける一面があるのは事実。

一方、日本のように個人の権利や人権が尊重されすぎて、相応の補償を払っても強制的な立ち退きが要求出来ない国は、どうしてもスピード感において遅れを取ることになる。

結果として、羽田空港は東アジアにおける存在感を伸ばすことはできず、中途半端な使い勝手にとどまっている。

日本人にとって、住み慣れた我が家を離れないという自由についてはかなり尊重されているし、その点については過保護とも思えるほどに強い権利としてみなされている。

区画整理や道路を通すときに立ち退き要求をするにしても、かなりの金銭をなければいけない上、立ち退き拒否をする住民が出てくると交渉が難航して、羽田空港のようになってしまう場合もある。

東日本大震災の時にも、原発事故の近くの家で立ち退きを拒否する住民が相次いだというが、様々な理由で住み慣れた土地を離れないという人は、高齢者を中心に大勢いる。

アーユルヴェーダの観点から見ると、カファ(水)の傾向が強い人たちと思われるが、個人的にはいまいち感覚的にぴんとこない。

確かに空港を作るとか道路拡張するとか、国や自治体の都合で勝手に生活を荒らされるのは気分がよくないのは当然のことながら、相応の補償をもらえるのであれば公益のことも考えて譲歩するのも、大人の対応としては充分にありだと思う。

まして、自分の住んでいる地域が放射能で汚染されている可能性があるとか、あるいは限界集落になってもはや必要な介護を受けられないとか、店舗に買い物に行くことができないということになってくれば、単純にもっと便利な場所に行ってそちらに適応すれば済みそうな話。

確かにいきなり大都会に行って、高層ビルが立ち並ぶ中で生活しろと言わたら困るかもしれないが、今までの環境と大きく変わらないようなところに引っ越せばいいわけで、それであれば、極端に適応力を要求されることもない。

しかしながら、土地信仰というか、先祖代々の土地を手放さない、あるいはそこから離れないという信仰は根強く残っていて、それにがんじがらみにされている人もいるように思える。


私の場合、出生地と育った場所が異なるし、実家も何度か引っ越しを繰り返しているので、あまり特定の土地に対して故郷という認識がない。

そういったところも、結果として身軽さを育ててくれたのかと思うが、一方では魂が帰属する先がないと言う寂しさがあり、他方ではフットワークが軽く余計な執着にとらわれないというプラスの側面もある。

一長一短ではあるが、少なくとも21時世紀的な生き方をするということで言えば、生まれた市町村はもちろんのこと、国境さえも越えて有利な土地に移住して生活や仕事をしていく方が、有利になっている。

そういった意味で言うと、住み慣れた家も土地も時には切り捨てて、新しい場所に移っていく人の方が、環境に適応できるのではないだろうか。

これはもともと生物が当然のこととして持つ性質で、ダーウィンが進化論の中で述べたとおり、生き残るのは優秀な種ではなく変化に適応できた種。

適応の中には居住環境の移動も当然ながら含まれているわけなので、何十年何百年も1つのところに盲目的に根を張って生きるのは、生き物として少々不自然な選択ということになる。

もちろん人間には文化的な側面が多々あるので、野生動物のように生きることはできないが、モンゴルの遊牧民や渡り鳥のように身軽に生きる姿勢を見習ってもいいのかもしれない。

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