バンコクで見た末端の労働者の日常生活



タイの首都バンコクを歩いていると、ちょっと変わった駒で行うチェスのような遊びに興じているおじさんたちがたくさんいることがわかる。

将棋やチェスは時間を潰すのには最適だが、真昼間からそれをやっているのはどうかというのが一般的な日本の社会人の考えだろう。

彼らは完全に無職であるような雰囲気の場合もあれば、シーロム近くにたむろしているタクシーやトゥクトゥクの運転手で、客待ちをしている合間にそういった遊びに興じていることもある。

これはこれで脳を使うので、ボケ防止や脳トレのような効果があるのかもしれないが、それでも小学生が日がな一日ゲームをやっているとか、そういった生活とたいして変わらない。

当然ながらチェスをやっている最中の人に声をかけるのは、きちんと待っている人に声をかけるよりもハードルも上がるわけだし、はっきり言えば、真面目に仕事をしていない人にお金を払いたくないという心理を生む事にもなりかねない。

そんなことをしている暇があるのであれば、スキルアップとか、タクシーの運転手であればよりバンコクの地理に詳しくなるように努力するとか、自分の労働力の価値を高めるために行えることはあるはず。

しかしながら、タクシードライバーを見ていても、そういったことをしている雰囲気はない。

もちろん全ての運転手について言えることではないので、あくまでこういったことは、一部の人にしか当てはまらないのかもしれないが、それでも少なからぬドライバーにこういった傾向がみられるのは事実。

ドラッカーも指摘してるように、人を束縛せずに開放的にして責任を持たせれば優れた技能を身に付けるとか、あるいは仕事に対して真摯な取り組みをするとか、そういったことは単なる夢想で、18世紀のルソーが活躍した時代以前からそうした指摘は行われているものの、実際にタイで労働者がどのようなことをしているか観察すると、とてもそうは思えないところがある。


タイ特有の問題ではない

これは、場所を日本に移しても同じことが言える。

日本人の場合、世界的に見ても勤勉な国民性であると言われるものの、これはあくまでも人の傘下に入って働く場合に限定される話。

例えば、副業を始めて、1人で仕事をする場合、自分の決めた目標に沿って、しっかりと取り組みことが出来る人は少ない。

本来であれば、1日でやるべき仕事を一週間かかったり、お酒を飲んでしまったので、今日はやめておくとか、彼女と口喧嘩になってイライラしているので友人を誘って飲みに行ってしまったので仕事はしなかったとか、そういった言い訳を聞く機会はかなり多い。

そういった自己管理ができる労働者は実は少なく、そういった意味でも、労働者と起業家は、かなり気質が違う。

起業家は必ずしも能力の高い人が成功するわけではなくて、むしろ職務能力よりも、自己管理の方が重要なのかもしれない。

どれだけ能力が高かったとしても、他人の監視から逃れたうえで一つの仕事を継続することは、それほどやさしいことではない。

これは、外回りの営業などを経験して、その間にさぼった体験のある人であれば納得してもらえるはず。

会社に所属していても、さぼりたいという欲求は少なからず人の心を惑わす。

まして自分一人でビジネスをするようになれば、ますます束縛はなくなるし、当初の軌道に乗り始めるまでであれば、お客さんに迷惑をかけたりすることもないので、まさに自分だけの問題ということになり、どんどんグダグダな展開に発展していきかねない。

そういったことを考えてみると、労働者気質を捨てることが起業家への第一歩なのかもしれない。


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