私の大学生時代を思い返すと、インターンとして働く同級生もいないわけではなかったはずだが、あまり一般的なことではなかった。
当時は意識が高い系の学生という言葉はまだ存在しなかったが、本当に将来を考えているようなごく一部の学生が企業にインターンとして無給で、もしくはアルバイト代をもらうだけで働いていたのだと思う。
思い返してみれば、私が学生だった頃はもう既に12年も昔の話で、ひとまわり過去ということになる。
あれから干支も一巡したと思うと、なかなか感慨深いものがある。
高校時代に至ってはこれまでの人生の折り返し地点でしかないわけなので、いつのまにかずいぶんと歳をとっていたことになる。
それはそうとして、先日私がフィリピンでコンドミニアムを探していた時に案内してくれたのは、日系の会社の社員2名だったが、そのうちの1人は大学生のインターンで、すでに卒業後の就職先は決まっているという。
今現在インターンとして働いている会社ではなく、それとは別口で就職先が存在していて、そのことはインターン先の会社も把握しているということだった。
しかも1か月や2か月ではなく、数か月間連続でインターンとして働き、その間寮を割り当てられるものの、原則としてフィリピンまでの渡航費用や生活費は本人負担ということなので、無休労働ということになる。
それでも吸収できるものがあると思ってわざわざ海を越えてフィリピンまで来るというのは、なかなかできることではない。
日本にいて右へ倣えで周囲に流されてインターン等の取り組みをするだけでもなかなか大変だが、一般的に言うとイメージの良くないフィリピンに働きにきて、なおかつ就職先自体は別に確保するのは相当なエネルギーが必要だったはず。
そういったバイタリティーを持った学生たちが、セブにやって来ているのはなかなか興味深い。
今後働き先として有望な国の中で中国の存在感が薄れていく中で、フィリピンやタイは若干脚光を浴びているところもあるし、その後に控えている大きな市場であるインドよりもはるかに生活環境としては整っているので、そういった意味でも仕事と生活のバランスがそれなりに整っているのではないか。
正直、中国やインドでそこそこ職に恵まれるとしても、それが人生の質を高めることになるかといえば甚だ疑問が残る。
もちろんそれらの地域に適応できる人であればいいあろうが、むしろ日本人の大部分は中国やインドで生活をしても人生の質が下がっていると感じるだけで、不満を溜め込むことになるだろう。
マレーシアに住んでいた時には、マレー系の他に中華系とインド系が三大民族の2つを占めていたのでその時にはいろいろと考えさせられることもあったが、これら2つの国に住んでまで職を得たいとは思わない。
もちろん仕事が無ければお金がなくて生活が成り立たないということもあるが、それはスキルを磨けばいいだけの話。
子供に中国やインドで働けるように言語教育を施すよりも、そもそも自分でまともな国に住めるだけの自由を得られる程度のバイタリティと開拓精神を持たせることの方が、優先順位としては先決ではないかと最近は特に思う。
インドで働くことに特化した能力を身につけても、そもそも子供がインドを好きになる確率は決して高くなく、それは親のエゴでしかない。
結局のところ、中学生以上になればもはや親がどうこう思うよりも子供が何をしたいか、どうなりたいかを優先して、どんどん積極的に失敗を容認していった方が、最終的には打たれ強くてちょっとやそっとのことではへこたれない生活力のある人間が形成されるのではないだろうか。