らせんは直線に勝る


まっすぐ上を目指すのをよしとしたのは、いつからだろう。



もっと収入を上げて、

もっと自由になって、

もっと頭脳を磨いて、

もっと快適な暮らしをして、

もっと・・・もっと・・・。



満たされない状態において、目指すのは現状よりも「上」。

つまり悩みのない状態だった。

シンプルだった。


パワハラを受けながら行きたくもない会社に行き、
生きることが苦痛でしかなかった頃には
サラリーマンから抜け出したいという思いでいっぱいだった。

そして、それはすでに達成された。

もう他人に雇われてサラリーマンになることはないのだろう。

年収1,000万でスカウトされたところで、
鼻で笑って断るのは目に見えている。



では、その目標が達成された今、すべて満たされたのか?

もはや天国の住人になった心地で
それ以上何も望まずに生きているのか?

応えはNO。

環境が変われば、他に望むものが出てくる。



そして、その望みは一直線に上を目指すものではなく、
もっと寄り道をしながら上がっていくもの。

ちょうどらせんのように。


たとえば、今後の居住地。

マレーシアに移住した時も永住は前提にしていなかった。

各国を転々としたいと漠然と思っていたが、
マレーシア・フィリピンと暮らしていると
アジアに飽きてくる。

そうするとヨーロッパか北米に住みたくなる。

そこに住めば、
またいずれアジアに住みたくなるだろう。

そしてまた、ヨーロッパ等に住みたくなり、
ヨーロッパに住むと今度はアジアが・・・。


ただ、同じ場所に住むということではなく、
より快適な環境を求めるようになっていく。

同じような場所をぐるぐる回りながら、
しかし上を目指す。


私はこれをらせん理論と勝手に呼んでいる。








かつては会社組織を忌み嫌っていた私も、
完全にそこから抜けだしてからは
たまにはオフィスのような環境で仕事をするのも
それはそれで刺激になって面白いと感じるようになった。

事実、マレーシア時代には友人の道元が持つ
法人の1つが入るオフィスに関係ないのに出入りしていた。

もちろん出社や退社の決まりはなかったし、
(そもそも社員ではないので)
普通の会社勤めとは違う。

ただ、
会社の奴隷→完全な自由→他人の会社に気が向いた時に行く→完全な自由
というらせんを描いていることになる。


マニラに来てからはそういうことはないが、
投資やビザ関係の要件で相手のオフィスに通されると
ちょっとテンションが上がったりする。



同じ生活を続けていれば、満足度はどんどん下がっていく。

もちろんストレスがないという意味では
十分に価値がある生活なのは間違いない。


それでも、より満たされているという感覚を求めるのなら、
やはり変化は必要。

その時に一直線に上を目指すと
よほどのスピードで上昇しない限り変化が足りない。

それを続けるのは苦しみも伴う。

並の努力では急激な進化なんてできないのだから。


それよりも、いくつかのポイントをぐるぐる回りつつ、
上に昇っていくのがベストというのが私の仮説。

あくまで仮説なので自分の人生で検証している。

正しいのかどうかはまだ分からないし、
気の迷いだったと方向転換をするかもしれない。



ただ、このらせん理論は意外に理にかなっている気がしている。


他にも例を挙げれば、
マレーシア時代は各国を旅して回っていたのに、
マニラに来てからはそのスピードが急激にゆるんだ。

すでに旅をしたい場所がたまりつつある。

どんどん旅をしていた→日常を楽しむ→どんどん旅をする
というらせんが描かれつつある。

次に旅が増える時期には
以前の経験を踏まえたものになるのは必須。

海外旅行歴がほとんどなかった状態とは
おのずと変わってくる。


健康に気を使う→あるがままに→健康に気を使う
という形のらせんもある。

当然、知識も経験も増えているだけに、
自分の体に効果のある健康法だけが残っていく。



こんな風にいくつかの点を結びながら
ぐるぐると周って寄り道をして変化を楽しみながら
今よりも成長していく。

これがらせん理論。



ちなみに、これはヘーゲルの弁証法の考えに近い。

ヘーゲルは18世紀から19世紀に行きたドイツの哲学者で、
弁証法というのは
テーゼ(命題)、アンチテーゼ(反命題)を踏まえて
ジンテーゼ(総合命題)に昇華されるというもの。


たとえば、

・嫌いな人間と会いたくない(テーゼ)

・余計な人間関係を断とう(アンチテーゼ)

・これでは孤独なので気の合う仲間を集めるために
 倶楽部を作ってみよう(ジンテーゼ)

ということ。

テーゼに対するアンチテーゼがあって、
そこから導き出された(進化した)のがジンテーゼ。



私のらせん理論の場合、
同じ場所をぐるぐる回っている間に
常に進歩し続けるので厳密には弁証法とは違う。

ジンテーゼに達した時だけ成長するわけではないので。




こんな感じで自分の人生そのものが
もはや実験になってきた。

他人の用意したレールを外れると、
生きているだけで色々な発見がある。

そして、その体験価値がますます自分の裏付けになっていく。


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