毎月21000円の奨学金の返済という重い負担


奨学金をもらいながら大学に行く人が不況の影響もあり増えているというが、これは特待生のように学費が無料になるわけではなく、あくまでも貸し付けという扱いになるので、将来的に返済しなければいけないお金。

そのため卒業後には返していかなければならないが、当然ながら新卒やそれに近い年代のサラリーマンは給料も安く、奨学金の返済はなかなかに大きな負担ということになる。

たとえば月収が20万円という状態で、21000円を毎月返済している人もいたが、給料のうち1割を持っていかれることになるし、それ以外にも税金や健康保険料等の社会保険料の支払いもあり、さらには年金まで天引きされるので、手取りにするとどんどん減っていってしまう。

こうなってくると、一人暮らしをするのであれば、正社員であっても生活がかつかつになりかねないし、奨学金の負担が重くのしかかってくることになる。

しかも半年や1年で返済できるものではなく、数年にわたってこつこつ返していかなければいけないため、その負担は小さくない。

途中で失業したり、会社のリストラ等に遭遇すると、返済のあてがなくなってしまい滞納になってしまったり、支払い不能になってしまうことも当然ながらあり得る。

しかし、ふと考えてみると、そこまでして大学に行く必要性を持っている人は、日本人の中でもごく一部ではないかとも思う。

実際、ドイツなどではいわゆる日本のような学問を追究することを目的にした大学に進学する人は少なく、職業訓練校に近いシステムが一般に普及している。

私も法学部出身だが、文系の学生は基本的に勉強しないし、そもそも二流大学以下の学生だと、学問という分野において、あるいはそれを企業に応用するということで考えてもほぼ役に立たない。

そう考えてみると、優秀な頭脳を持っていて向学心に燃えている高校生をサポートして大学に進ませるのは国策としても決して無駄ではないと思うが、二流三流の大学に進む学生を増やすことにどれだけの意味があるのかはよく分からない。

しかも奨学金という形で貸付を行うことによって、将来に向けて足かせをはめてしまうことになるわけなので、社会にとっても本人にとっても不利益にしかならない可能性もでてくる。

そもそも大学に行くのが普通という風潮自体に問題があるとも考えられ、人生のモラトリアムという位置づけになる日本の大学に進まなければいけないという強迫観念的な思い込みは、いっそのこと捨ててしまった方が人生に有益な気もする。

少なくとも、その4年間バイトをしながら自分で費用をかけずにビジネスを構築する方法を模索するとか、そういったことをした方が、仮に雇われてサラリーマンとして組織の中で働いていくにしても、実際に役立つ力が培われるのは間違いない。

4年間もビジネスに携わっていて素人と変わらないということはあり得ないし、人に雇われるのとは違って、個人事業主として起業すればスタートからエンドまで全ての流れを自分で見ることができるし、責任感や実行力といった要素が芽生えてくるきっかけになり得る。

そう考えると、わざわざ奨学金をだしてまでお金の無い高校生を大学に進学させることよりも、その後の4年間をもっと試行錯誤に使うことができる状態にして、その後に社会復帰しやすい寛容な環境を整えることの方が結果的に日本の国力も上がり、国民のストレスや鬱屈とした気持ちも緩和できるのではないだろうか。

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