祝祭日を喜んでませんか?


日本ではお盆だと風の噂に聞いた頃には、すでにお盆は終わっていたようだ。そして、マレーシアでは花火がやたら打ち上げられ、街なかでは札が焼かれているのを見ると、今度はこちらが特別な時期に入ったらしいが、何なのか心当たりがなく。

住んでいない日本の行事は関係がない、住んでいるマレーシアの行事も仕事に影響があるわけではなく、特に影響がない。要するに、どちらも知ったことではない。関係あるとしたら、今日の食事の時にレストランが普段の平日よりも混んでいたことぐらい。

祝祭日が嬉しいというのはまっとうな感覚なのかもしれないが、これは完全に雇われる側の発想で、本来なら休みたい時に休めばいいはず。もちろん、仕事に支障のない形で。

それを国が決めた尺度で休ませてもらうというのは、あまりに他人に依存しすぎた体質ではないかと。こういうことを話すと、「周りも同じようにしている」とか「好き勝手に休める方がおかしい」という声を聞くが、これもどうなのかと?

そもそも、周りと同じ行動を取っていることが正しさの尺度になるのかどうか?そもそも、周りと同じような人生を送りたいのか、ということ。個人的には、平均的な生活を送っても幸せではないと思っている。特に今の30代や20代の世代は。

何しろ、働いても大した給料はもらえず、将来への展望は果てしなく暗い。普通に考えて、日本の経済力はどんどん落ちていくだろうし、はっきり言って単純労働者なんて要らない。

今の貨幣価値がそのまま残るとすれば、時給500円でも高いという時代が10年もすれば来るだろう。そうならないように、政府は必死に外国人労働者の受け入れ拒否等をすると思うが、そもそも雇用が流出していくのだから完全に避ける事はできない。

それを恐れた企業が何をするのか?当然ながら、要らない人間をいかにしてリストラするのかに苦心し、どうやってクビを切りづらい正社員を採用しないかに頭を悩まし、利益を確保するために必死になるだろう。売上を伸ばすことはさておいて。

こう言うと、企業側を糾弾する人もいるが、そもそも企業は利潤を追求するための組織。そして、経済縮小で売上が増加しづらい状況においては、コストを下げる努力は当然の企業努力で、これをおこたれば倒産するだけ。

そして、往々にして人件費はコストの中でもトップに近い位置にあるわけなので、リストラや非正規雇用は企業が生き延びるために必死の措置。余裕のあるうちにやっていたとしても、それは先見の明であって、経営者として非難される筋合いなどない。ギリギリになってから対策を立てるほうが、経営者としてはよっぽど問題なのだから。



このような環境において、他人の評価基準にのっとって行動する20世紀型の成功法則は崩壊している。ただ、人間は変化を嫌う生き物。その結果として、無理に変わろうとするよりも、傷の舐め合いをすることに。

「周りと同じ」なんていうのは、傷の舐め合いの最たるもの。皆と一緒という何の理由もないところに、理由を求めているわけなので。そもそも、多数派が正しければ政治家は尊敬される人物ばかりだろうし、日本人はお金持ちばかりになっているはず。少なくても、老後の心配などする人がいない程度には。

土日や祝祭日を待ちわびて人生を過ごすというのは、何だか生活のために生きているだけで、本末転倒な気がする。主体性のない労働の合間の休みを楽しみにする、それでいいのだろうか?

個人的には、祝祭日に関係なく働き、休みたい時に勝手に休むという生活が気に入っている。



本音を言うと

どんな仕事をするか、どこに住むか、誰と付き合うか?

本当はすべてあなた自身が決めることなのに、
現実の世界ではそれが許されない。

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