ネット世界にいつの間にか誕生する新しい自分


フェイスブックやツイッター、あるいはブログといった個人メディアを持っている人は多いと思うが、そういったところに何気なく投稿しているだけでもいつの間にか情報というのは蓄積される。

特にフェイスブックのように写真つきでの投稿を多くするようなメディアであれば、自然に文章以外のデータというのも増えていくわけで人によっては、いつどこに行って誰と何を食べたかと行った生活の情報を記録していることもある。

そうなってくると、自分の予期しないところで個人の情報というのは積み重なっていくわけで、そこから読み取れる新たな人となりとかそういったものも見えてくることになる。

ここで真実の姿が見えてくるというのも気持ち悪いものがあるが、かといって現実とは違った姿が勝手に生み出されて、それをみた他人があなたについて勝手に誤解してしまうと言うのもやはり同じように気持ちのいいものではない。

特にフェイスブックの場合でいえば、リア充自慢をしている人が多いということが指摘される。

つまりちょっといいレストランに行ったとか、あるいは友人に誕生日パーティを開いてもらってるとか、そういった普段の生活の中でも特に人に見せたい目立たせたい部分をピックアップしていくので、それによって虚構の自分を作ってしまうという指摘。

これは当たり前のことといえば当たり前のことで、そもそも人間というのは非常に多面性にとんだ生き物だし様々な局面を持っている。

つまり一人の人であっても常に一定の状態を保っているということはありえないので、どのような切り取り方をしたとしても必ず何かしらの偏りというのは産まれることになる。

例えば友人のAさんが見ているあなたと、父親が見ているあなたとはまた違う人間であるはず。

もちろん本質的な部分としては変わらないはずであっても、それぞれの人が見ているときのフィルターであるとか、もしくはあなたがその人と接している態度とか、そういったものによって見え方というのは当然のこととしてかわってくる。

そのため、例えば友人たちと会っているときに街中でばったり親と出くわしてしまうとき、気まずい思いをしてしまうというのはどちらへの顔を優先させるかということをとっさに判断しなくてはいけないし、どちらを選択したとしても、何かしらの齟齬が生じてしまうから。

こういった不都合な場面というのは、世の中においては往々にして存在しているが、ネット世界においても普段と違う自分を演じている人ほどリアル世界での結びつきとのギャップというのは生まれてしまう。

これを恐れるというのも確かに一つの考えではあるものの、もはやインターネットがこれだけ普及してしまって、ましてパソコンがなくてもスマホやタブレットで簡単にアクセスできる時代になってしまった以上は、そういった他人からの見られ方というのも意識して生きていくしかないのではないかと思う。

こういったみられる意識というのは男性より女性のほうが強いので、男性の方がより努力をしないと状況にあった判断というのは難しいのではないかと思う。

もちろんフェイスブックもツイッターもやらずに遮断してしまうというのも一つの方法ではあるが、それはそれでフェイスブックもツイッターもやらないという一つのレッテルが貼られるわけなので、結局その呪縛から完全に解き放たれるわけではない。

他にも普通に生きているだけで、私たちは様々なところで人間性や普段の生活を推し量ることができるようなデータというのをばら撒いていることになる。

それは例えばスーパーやコンビニあるいはメインストリートであるとか様々なエレベーター等についている監視カメラについてもそうだし、クレジットカードの利用明細とか、スイカの利用明細とか、お財布携帯を使っている人であればそういった電子マネーの記録であるとか、スマホのGPSのデータ、あるいは車のGPSのデータ、こういったところからも情報というのは抜き取ることができるわけで、何らかのきっかけでそういったものが流出してしまうと普段は見せていない、もしくは本人も意識していない一面というのが暴露されることになってしまう。


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