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「大人=不自由」という嘘
「人生は1年や2年で大きく変えられる」その証明をするかのように、
この数年は環境がどんどん変わっていった。
なぜ祝日でもない月曜日、つまり平日の昼間に
チロル地方のインスブルック(オーストリア)にある
カフェのオープンテラス席でこの文章を書いているのか?
すぐ間近にはアルプス山脈が見える。
こうして好きな時に好きな場所にいられるようになるとは、
数年前のサラリーマン時代なら考えることもできなかった。
30代を目前にしてマレーシアに移住したり、
マレーシアに飽きたところで
2年後にフィリピンのマニラ(マカティ)に再び移ったり、
その後はセブや台湾にも住んだり。
マレーシアではMM2H(リタイアメントビザ)、
フィリピンではクオータビザ(永住権)を取得した。
住める国を増やし、
もっと自由に生きることができるように。
そして、気まぐれに世界一周を始めたり、
1年半にわたってホテル暮らしをしたり。
定年になって仕事を引退したわけではなく、
仕事を続けながら旅をしたり、
海外で暮らしたりしている。
住む場所や仕事の時間の制限を受けず、
わずらわしい人間関係に悩まされることもない。
それでいて、
サラリーマン時代の給料よりも収入のケタが1つ増えた。
不自由との折り合いを付けるのが大人だと言うのは、
思考を停止して現状を正当化する言い訳でしかなかった。
実際には、自分の仕事に誇りを持ちながら、
自由に生きる人は存在する。
この数年で、そんな人と会う機会を多く持てた。
付き合う人も、住む場所も、いつ何をするかも
自由に選べる生活。
それを実現するのは、
思ったほど難しくなかったという事実がある。
時間・場所・人間関係・お金の面で自由になる方法については、
以下の無料メール講座で具体的なやり方を説明している。
(必要ないと感じたら、いつでも解除していただけるので気軽にどうぞ)
上記のメール講座で学べることの一部を例として挙げてみた。
>>メール講座のさらに詳しい説明
この他にも、
国内外を問わずに住む街を決め、
人間関係のしがらみやスケジュールに囚われず
自由に生きていけるようになるまでに
必要だったことをお伝えしていく。
正直なところ、
今の自由な生活を得るまでには
かなりドロドロした問題も抱えていた。
ブラック企業に入社してしまったり、
パワハラにあったり・・・。
そういったことも、
今の生活に至る道筋を語る上では回避不能な出来事だった。
さすがにその全てをこのような公開の場でさらけ出すのは
私自身も抵抗があった。
思い出して語るだけでも、
なかなか気が重くなるような時期もあったので。
ということで、
興味のある人にだけメールでお伝えすることにした。
今すぐ上記の登録フォームにメールアドレスを登録していただけば、
すぐに1通目をお届けするので、
登録後はメールが無事に届いているか、ご確認を。
30代で海外移住、永住権取得、仕事をしながら世界一周できた理由
「住みやすい場所で暮らしたい」この思いがきっかけで、下見もなしに海外移住をしてしまった。
もちろん、仕事は続けながら。
自分でビジネスをしているメリットを感じた瞬間だった。
最初は2011年2月にマレーシアへ。
そして2013年3月からはフィリピンで暮らしてきた。
マレーシアへ移ったのは30歳になる目前で、
住んでいる間にMM2Hというリタイアメントビザを取った。
32歳でリタイアメントビザというのも(笑)。
フィリピンでは永住権(クオータービザ)を取得した。
そして、2014年3月からは自宅を持たず、
居住国すらない状態で非定住生活をスタート。
ついでなので世界一周の旅も始めてみた。
ほんの一例だが、こんな街を周った。
タイ王室御用達のリゾート、ホワヒン
セブからのアイランドホッピングで訪れた南国の楽園
毎日気持ちの良い気候だったシドニー
シドニー、ハイドパークで見かけたポッサム
世界一住みやすい街と言われるバンクーバー
オタワでは国会議事堂の銃撃事件にニアミス、
危ないところだった(苦笑)
北米で心を癒してくれるリス
アメリカでは11箇所の美術館・博物館めぐり
スターウォーズのジェダイアーカイブの元になった
ダブリン、トリニティー大学の図書館
7つの丘の街リスボン
東欧にはまるきっかけになったポーランド、クラクフ
ドナウの真珠、ブダペスト
居住環境を突き詰めていった結果、
日本以外で暮らすことを視野に入れたくなり、
さらには定住生活を手放しに受け入れていることにも疑問が出てきた。
それが海外移住と非定住生活のきっかけ。
用意周到に計画していたわけではなく、
どちらも思い立って3ヶ月ほどで実践することに。
こうして振り返ってみると、それでいいのだろうか(笑)。
とは言え、ここまでの道のりは平坦ではなかった。
意外に身近だったパワハラとリストラ
今では各国のホテルを転々としながら
気ままに海外を旅して放浪者のようだとうらやましがられたり、
無職と間違われたりする私だが、
大学卒業後は派遣社員をやっていた。
その後は別の会社で正社員として就職した。
正社員として初めて働いた会社では、
直属の上司から連日のパワハラにあうという
最悪の社会人のスタートを切ることになってしまった。
その上司がこれまでに何人もの社員を退職に追い込んできた
社内で悪評高い人物と知るまで時間はかからなかった。
これが何かのたたりなのか、偶然なのかは知らない。
とりあえず、私が前世で何かをしたというなら、
前世のうちに決着をつけておいてほしかった。
それでも、
一応は社会人として暮らしていこうと思っていた身としては、
すぐに会社を辞めることはできなかった。
取り敢えず、経歴のことを考えてみたりもして。
パワハラに耐え、
出勤時に会社が近づいてくれば
20代にして動悸がするという有様の勤め人生活を送っていたら、
2年近くが経ったある日、リストラされた。
念のため断っておくと、
私はパワハラを受けていた側で、加害者の側ではない。
パワハラの嵐を吹き荒らすような
悪辣外道とは誤解されたくないので、念のため。
このリストラはパワハラの件とはまったく別の理由で、
要するに会社として私は用なしということらしかった。
これまでにも、
多くの社員が神かくしのようにこつ然と姿を消していたが、
私も神かくしにあってしまったのだ。
実際に体験してみると、
この神かくし的リストラの手法は見事だった。
有無を言わせず右から左にベルトコンベアに乗せられたように、
あっという間に運ばれる。
終着点は退職届を書くところであり、
その日限りで辞めていくことになる。
神かくしにあってきた先輩方を
実験台にして完成されたシステムは、
日本のモノづくりの真髄のように洗練されていた・・・。
こうして、事情を知らない他の部署から見ると、
私も神かくしにあったことになる。
これまでの例を見ても
辞めたことがアナウンスされることはないので、
ひっそりと噂が広まるまでは
退職の事実すら社内に公表されることはないだろう。
かくして、自分の意思に関係のないところで
入社早々パワハラという対岸の火事と思っていた苦難に陥り、
神隠し的リストラという離れ業を見る機会に恵まれ、
主力事業において違法すれすれの販売手法に依存する
ブラック企業の凄みをまざまざと見せつけられた。
よき社会人でいることに意味はあるのか?
おとなしいという理由から、
学生時代は何となく優等生っぽい見られ方をしてきた私としては、
よき社会人として縁の下で歯車に徹するのが
人間の生きる道だと思っている部分もあった。
そんな中、会社や社会から外れてしまったのは、
違和感がなかったとは言えない。
しかし、優等生であろうとした私の裏にあった感情は、
実際に社会に出てから膨らんでいく一方だった。
模範的な社会人であることに意味がない、という憤りは
神かくし事件までの勤め人生活によって強化された。
毎日理不尽に怒鳴られ、
1時間以上の恫喝が日常化していたサラリーマン時代には、
さすがにそんな生活から抜けだそうともがいていた。
サラリーマンの伝家の宝刀とささやかれる副業に手を出し、
神かくしにあう頃には月に10万円ぐらいは
コンスタントに稼げるようになっていた。
この副業はパソコンを使って稼ぐ方法で、自宅で完結する。
別に誰かと直接関わる必要もないので、
会社にバレる心配もなく、初期費用もかからなかった。
収入は十分とは言えなかったものの
右肩上がりにはなっていたので、
このまま生活していけそうな目処はたった。
そして、私はよき社会人としての生活を
20代なかばにして放棄し、
なし崩し的に独立起業ということになった。
下見なしで海外移住をしてみた
神かくし事件から3年近くがたった頃。
すでに完全な経済的自由を得たとは言わないまでも
生活に余裕ができていた。
パワハラの主である上司の収入は
独立して半年もたたずに越えられた。
躍起になって仕事にのめり込む必要はなくなり、
次の展開が欲しくなってきた。
その結果として、
手始めにマレーシアへ移住することにした。
すでに場所の自由は手に入れていたので、
世界のどこで暮らしてもかまわない。
問題なく仕事を続けることができる。
どこに旅行に行っても困らない。
その利点を駆使することにした。
こうして海外生活を始めたわけだが、
私が海外に出て早々に決めたことがある。
それは頑張らないということ。
世間には、海外生活を精一杯満喫しようと、
こめかみに青筋を立てながら頑張る人もいるようだが、
それには憧れを感じない。
そもそもマレーシアに来たのは生活の一環であって、
別に特別なことではない。
にも関わらず、わざわざ苦労して現地事情に必要以上に精通したり、
外国人というだけでどうでもいい人とコミュニケーションを取ったり、
現地の日本人コミュニティでわずらわしい思いをする必要もない。
海外でお気楽ハッピーというような、
間抜けな生き方をしたいわけでもない。
ただ自分の身を起きたい場所で、淡々と暮らしていければいい。
誰もが認めるような充実感にあふれた生活よりも、
穏やかで静かな暮らしをしたいのだから。
そんな風にして、海外生活は何となく幕を開けた。
移住当初は1人しか知り合いがいなかったマレーシアの片隅の街にも、
友人が増えていった。
そして、旅をして回った世界各国にも、友人ができた。
不思議なものだ。
学生時代から友人が少なく、
社会人になってから友人などできたことがなかったのに・・・。
プール・ジム付きのコンドミニアムでの暮らしが普通になり、
マレーシアに飽きてからは
フィリピンのマニラにあるマカティに引っ越した。
旅をするように暮らし、暮らすように旅をする
マカティでの暮らしを1年でひとまず終え、
各国を転々としながら今はホテル暮らしをしている。
多くの物に囲まれることよりも、
荷物を最小限に抑えて自分の身を起きたい場所に
季節を選びながら移動する生活に価値を感じたから。
アジア、ヨーロッパ、北米、オセアニア・・・。
様々な場所を転々としながら生活し、
途中で世界一周をしたりもした。
そんな非定住生活も1年以上になる。
来月にどの国にいるのか、
自分でも把握していないこともしばしば(笑)。
気楽な旅を続けている。
旅をするように暮らし、暮らすように旅をすることにかつては憧れた。
今ではそれが発展し、旅と暮らしは融合している。
自由な人生を楽しむ仲間を求めて
独立してから日本で暮らした3年の間は、
孤独を深めた時期だった。
サラリーマン時代に人間関係に疲れ、
他人とわざわざ関係を築きたいとも思わなかった。
ある意味、リハビリ期間のようなものだったのだろう。
しかし、時間がたつにつれて退屈に感じるようになった。
やはり一人では面白くない。
状況が変わったのは、主に海外に出てからだった。
と言っても、人間関係の大部分は日本人だったが。
そして、良好な関係を築くことができた友人の共通点を探してみた。
すると、職場の不満や愚痴が多い
ありがちなサラリーマンとは違い、
向上心を持っている(自分と同じ方向性を持っている)こと、
精神的に本当の意味で独立していること(特に会社から)が
共通点と言えそうなことが分かった。
後は世間から見ると、変わり者であることも多い気がする。
せっかくなら、1人で自由な生活を送るよりも、
人生を変えたいという向上心のある仲間がほしい。
実は、このブログを作った目的はここにある。
情報を提供しながら、気の合う人を集められればと思っていた。
とは言え、ブログを作っているうちに
限界を感じるようになった。
ブログだと読んでもらいたい重要な記事を指定できないため、
共有したい知識を共有できない。
そもそも古い情報も残ってしまうので、
制度や私の考えが変わった時に混乱を招くことになる。
そこで、メール講座を作ることを決めた。
その中で、まずは自分らしい生き方を実現するために必要な知識を
体系的にお伝えしていく。
一度に大量の情報があっても消化しきれないと思うので、
メール講座としてステップバイステップで
お届けすることにした。
今なら無料で読んでいただける。
目指す場所は人間関係・お金・時間・場所の4つの自由。
この4つの自由さえあれば、
日本も含めて世界のどこでも好きな場所で暮らせ、
好きな人とだけ関わることができる。
気の向いた時に旅ができるし、
世界一周ぐらいなら何となくの気分で始められるのは
私の体験で証明済み。
旅行中も気が向いた時に仕事ができるし、
収入が常に旅費を上回るので継続的な旅が可能になった。
自分のペースで生活できるため
健康に配慮した生活もできるし、
各国の料理や地ビールを楽しんだりもできる。
好きな仕事だけに絞ることで
安定した収入に加え、やり甲斐と誇りも得られる。
こういった生き方を実現できる具体策を示していく。
過去にはメール講座の読者さん限定で
南の島でシュノーケリングやドルフィンウォッチングをしたり、
希望者を募って不動産の視察に行ったり、
マニラやクアラルンプール、バンコク等で
食事会やお茶会を開いたり、
香港の夜景を見ながら資産の分散方法について語り合ったり、
クルージングに出たりした。
他にも、海外移住の相談をスカイプで受けたりしたことも。
こういった募集もブログ上では行わず、
メールでのみ行っている。
基本的な考えや価値観を共有している人に来てもらいたいので。
ということで、
日本で暮らすにしろ、海外に移住するにしろ、
自由で自立した人生を得たいという場合は
以下よりメール講座に無料登録を。