くくりに入れられることが多い。
私としては絵に描いたような正常な人間のつもりなのだが・・・。
極めて平凡な私がなぜ変人扱いされるのか、
心当たりをいくつかまとめてみようと思う。
下見なしでの海外移住
マレーシアに移住した時が初めての東南アジアで、
海外旅行としても2回目だった。
あまりにも現地の環境がひどかったら
その場で予定を変更して日本に戻ればいいと思っていたし、
十中八九そんなことはないと思っていたので
わざわざ下見に来たりはしなかった。
国際宅配便は使わずに手荷物だけで移住してきたので、
それも変わった点として見られるらしい。
ちなみに、マレーシアの永住権的なビザ、MM2Hを取って
わずか一週間後にはフィリピンに移住した。
MM2Hは将来の保険のようなものなので、
別に永住するわけではない。
フィリピンでも永住権も取得したが、
やはりフィリピンも永住する気はない。
自由でいることを最優先にした結果
「大人になったら不自由なのは当然」
この常識を信じるのをやめた結果、人生は大きく変わった。
いきなり海外生活を始められたのも、
気まぐれに世界一周をスタートできたのも、
尊敬できる人とだけ付き合うようになったのも、
自由にこだわった結果。
特に人間関係・お金・時間・場所の自由の4つは
重要視してやってきた。
私の人生が変わった何よりの理由は、
この点にある。
実際に自由を得た方法については、
こちらのページで詳しく書いたのでご参考にでも。
英語ができずに海外生活スタート
海外とも英語とも無縁な生活を送り、20代が終わろうとしている時に海外で暮らすことを、ふと考えた。
そして、ハードルの1つとして
英語が話せないことに気づいた。
結局、移住前の1ヶ月だけ独学で英語を学んだだけで、
その後は特に学ぶこともなく生活してきた。
主にマレーシアやフィリピン、タイ、
ヨーロッパ各国のように英語が非ネイティブの国で過ごしているため、
非ネイティブ同士で意思疎通をする方法は上達したが、
英語そのものはいまだに片言(苦笑)。
目的に特化したコミュニケーション力だけに絞った結果、
良くも悪くもそんな風になった。
とは言え、アメリカやイギリスに行った時も、
どうにか会話は成り立ったのは幸い。
行動力がないのに・・・
住む国をどんどん変えたり、2年で海外20都市を旅したり、こうした経験を見て私が行動力にあふれた人間だと
誤解されることがある。
実際のところ、
私は軽いひきこもりタイプの人間。
自分の部屋にひきこもりはしないが、
自宅とその周辺の生活圏からはなかなか出ない。
海外移住のように大きく環境を変えないと、
ひたすら単調な生活を送りがち。
実際、東京に住んでいたこともあるのに、
お台場も六本木も行ったことがない。
ちなみに、六本木は
外国人が多くて怖いイメージすら持っていた。
今は周りの99%以上が外国人なのに(笑)。
そういう性格なので要所要所で環境の変化を作っているだけで、
普段は人並み以上に行動力がない。
体も弱いので、月に1度ぐらいのペースで寝込む。
肉体的にも精神的にも他人より行動力があるタイプではない。
ただ、他人と同じ行動をすることに意味は感じないので、
結果的に特殊なように見えるだけ。
海外の潜在能力の探求
日本人は海外を上手に活用することで
人生の選択肢を大きく増やせると考えている。
そのために、色々な国で現地の銀行を訪れて話を聞いたり、
各国に資産を分散してみたり、
海外法人や海外税務のプロに話を聞きに行ったり、
留学やワーキングホリデーの経験者や
サポート会社双方の話を聞いたり、
マレーシア・フィリピン・台湾に住んでみたり、
各国に住んでいる人と会ったり、
それぞれの国のビザ事情について調べたり、
実際にビザを取ってみたり、
より高い身体パフォーマンスを引き出してくれる
整体等の施術のプロを探して各国を渡り歩いたりしてきた。
自ら体験すること、他者に教えを請うこと。
両方の面から人間の持つ、
そして海外の持つ可能性を探求している。
月に漫画を200冊以上読んだり
3ヶ月前のことだが、
やらなければいけない仕事も1日1時間程度になったので、
ひたすら漫画を読んでいた。
海外だと紙の本はなかなか手にはいらないので、
電子書籍にしてiPadで読む形で。
結局、1ヶ月で200冊以上の漫画を読んでいた。
ハチミツとクローバー、3月のライオン、聖お兄さん、
神の雫、銀の匙、カイジ、アオアシ、
バクマン、刻刻、ジョジョリオン、ヒストリエ、
ジャイアントキリング、キングダム、マルドゥックスクランブル、
ゴタ消し、君に届け、黒執事、等々・・・
子供の頃にもここまで漫画を読んだことはなかったし、
考えたら小学生よりも拘束時間が短いことが判明した。
「20歳を過ぎたら本当の友人はできない」は大嘘
大人になってからは友人ができず、子供の頃の友人が一生ものという人がいる。
これが通用するのは、
一生何者にもならなかった人だけというのが私の考え。
自分が何をしたいのか、
どう生きたいのかが明確になってから、
私は友人ができていった。
自分が何者か分からなかった高校時代や社会人時代には
友人なんて1人もできなかったのに、
軸ができたら30代になっても友人ができていく。
常識に流されているだけの生き方をしていれば、
共鳴する人は現れない。
だから大人になって他人と距離ができるようになれば
友人ができなくなる。
単純に近くにいるとか、
そういう理由での友人関係は希薄になっていくから。
逆に自分の向いている方向が明確なら、
年齡に関係なく本当の友人ができるというのが
私が体験してきたところ。
2カ国で永住権を取るほどの安定志向
私は穏やかに安定した暮らしがしたい。そのためにマレーシアとフィリピンで永住権を取得するほどに。
日本が安心して暮らせる国ではなくなっても
居住できる国を獲得するために
わざわざ2つの国で永住権を取ることにした。
そのくらいの安定志向。
ただ、それが人からはまったく理解されない。
下見なしで移住したり、海外投資をしたり、
20代でサラリーマンを辞めて独立したのを見て
冒険心が強いと誤解される。
移住したのは永住権を取ったのと同じように
住める場所を増やして保険をかけておく意味もある。
海外投資は通貨を分散させないと円が弱くなった時に
自動で資産が減ってしまうのを防ぐため。
サラリーマンを辞めたのはリストラや倒産等のリスクに
いつまでも身をさらさないため。
本来安定を求めて取った行動が、
なぜか他人からは冒険に映ってしまう。
それも不思議な話だが・・・
「モノ」は最小限でいい
私はほとんどモノを所有していない。家も車も時計も持たない。
(投資用のコンドミニアムがタイとフィリピンにあるだけ)
身の回りにモノが増えていくのは不愉快だし、
日本からマレーシアに移住する際、
マレーシアからフィリピンに移住する際も
手荷物だけしか持って行ってない。
それ以外はすべて移住前に捨てた。
収入が増えたにも関わらず
むしろ身の回りのモノが減っていったのは、
身軽に動ける環境がほしかったから。
モノよりも知識や経験、思い出、体験価値がほしい。
だから各国を旅したりするし、
外付けのハードディスクには漫画も含めて
1000冊以上の電子書籍化された本が入っている。
ただ、かさばるモノは要らない。
この1年での買い物を思い出してみても、
投資を除けばマレーシアとフィリピンのビザぐらいしか
ある程度の金額になるものがない。
どちらもパスポートにシールを貼るだけなので、
驚くほどかさばらない。
それ以外の買い物でも、
仕事で使うパソコンを買った程度。
成金生活を送りたいわけではないし、
あくまで欲しいのは体験価値。
だから5つ星ホテルに宿泊した翌日に
3000円代のボロボロな安ホテルに泊まったりもする。
その落差を体験するために。
1度はフィリピンで120円の美容院に行ったこともある。
どんなに最悪でも失敗したら坊主にすればいいかと思ったので。
また行こうとは思わないが、これも体験としては面白かった。
自宅を捨てて世界一周を始めた
海外移住は思いつきだったが、
その延長に世界一周があるとは予想していなかった。
各国を1年程度で転々としながら暮らしたいと思ったものの
ビザのハードルが予想以上に高いことが分かったことで、
観光ビザまたはビザ無しで滞在して
どんどん次に行った方が楽なことが発覚。
海外生活を始めてから
持ち物を減らすシンプルミニマムな暮らしをしてきたし、
そのままの流れで自宅も引き払ってしまうことにした。
飛行機に持ち込める手荷物だけで、
ひとまず世界一周を始めることにした。
ちなみに、空港で測った際の荷物の重さは10.3キロ。
不動産や株式、ファンド等の権利を除けば、
この10.3キロの荷物が32歳の私の全財産ということになる。
職場はスター・ウォーズの・・・?
私には仕事をする決まった場所がない。そもそも一箇所にとどまっていないので、その時によって異なる。
たとえば、ラオスのルアンパバーンにあるクアンシーの滝のふもとや、
スター・ウォーズのジェダイ・アーカイヴの元になった
ダブリンのトリニティ・カレッジ図書館、
ロンドンの大英博物館でも、
ふとパソコンを広げて仕事をした。
別に計画してそうしたわけではなく、気が向いたので。
クアンシーの滝
トリニティ・カレッジ図書館
美術館は刺激を受けられるため、
各国の美術館にパソコンを持ち込んでは仕事をしている。
イギリスのテートブリテンもその1つ。
アイルランド北部のベルファーストのボタニカルガーデンのように、
目を上げれば花が咲き乱れ、
息を深く吸い込めば緑のにおいが入ってくる場所で
仕事をしたりもできる。
ベルファーストには川沿いの道があり、
ここも仕事をする場所として気に入っている。
もっとこの場所にいたい、
でも何もしないと手持ち無沙汰という時、
思い立ったら仕事ができるのは嬉しい。
時に古の知恵や芸術に囲まれて、
時に豊かな自然に癒やされながら、
時に最新の技術やデザインの中で刺激を受けながら
自らも仕事をしてモチベーションが上がらないわけがない。
2年9ヶ月のホテル暮らし
世界一周が終わってからも、
各国を転々としながらホテル暮らしを続けた。
ビザなし、もしくは観光ビザで滞在できる期限内で
次の国に移動しながら。
おかげで新しく住みたい国の候補を見つけることができたり、
数日のつもりで訪れたブダペストに1ヶ月滞在したり、
自由な日程で予定を変更することができる。
あまりにも快適だったので、
2年9ヶ月にわたるホテル暮らしをやめるのには
それなりの決意が必要だった。
定住生活と非定住生活の使い分けという暫定的な結論
どこかの街で部屋を借りて1年単位で住むのか?
(定住生活)
それとも各国を移動しながらホテル暮らしをするのか?
(非定住生活)
両方の生活を経験して
それぞれの長所や短所を比較した結論としては、
時期を見て切り替えるのがベストとという結論に。
ホテル暮らし(非定住生活)は
心をつかまれる場面もたくさんあったが、
住環境と習慣を連動させながら
改善・再構築していくのには向かない。
移動が多いので体力的な問題もある。
また、住所不定となるため
海外での銀行の口座開設等の
堅い手続きの場面で不利に働くことも。
パスポートの履歴からも居住地がわからず、
イミグレで不審がられることもある。
旅に慣れすぎて新鮮さが失われるという問題もあった。
こうしたホテル暮らしの短所を考えると、
定住生活の時期をはさむ方が
人生の質を上げられるというのが
暫定的な結論になった。
その結果、ホテル暮らしをいったん切り上げた後は
台湾の台中に住み、
1年後にはタイ・バンコクに移住した。
こうして見てみると分かる通り、
私はちょっと変わっているように見えるだけで、
極めて平均的で常識的な人間でしかない
・・・と思う。
→伊田のこれまでのプロフィール
海外に移住するのは本当に難しいのか?
日本を出て海外に住むようになってから
「海外に移住したい」という話をよく聞くようになった。
同時に、
「英語が苦手で・・・」
「海外での部屋選びで失敗しないか不安」
「他の国での生活を想像できない」
「下見で何を確認したらいいか分からない」
「移住後の仕事やお金が問題」
等々の様々な不安や悩みも耳にする。
そこで、10年以上海外で暮らし、
4ヵ国に住んできた経験を凝縮した電子書籍、
『「いつか海外に住みたい」を手の届く現実にするための本』
を無料でプレゼントすることにした。
電子書籍の目次等も掲載しているので、
プレゼントページへどうぞ。
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