会社や国・他人に依存しない生き方を選んだ末路

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会社に依存しない生き方をしたいと思い、
20代の頃からどう生活していくかを考えてきた結果、
ずいぶんと標準的なレールから逸脱することになった。

今では会社はもちろん、他人に依存したり、
国を頼ったりすることがなくなった。

もっとも、最初からきっちりしたプランを立てていたというより、
最初は単純に、会社や上司に人生を支配されたくなかっただけ。


私が初めて就職したのは、
いわゆるブラック企業と称される類の会社だった。

特に直属の上司は部内だけではなく、
全社的に有名なパワハラ上司で、
配属された部署が万年人員不足に陥っていたのも
上司が新入社員を次々に潰していたから。

その牙は当然私にも剥かれた。

毎日罵詈雑言が飛んできて、
言いがかりのように罵倒される。


私の後に入ってきた社員も4ヶ月ほどで辞めていった。

そんな社風。

しかも薬事法の世界で合法か違法かスレスレの、
どちらかと言えばアウトに近い販売手法を行っていることも
徐々に分かってきた。

世間に顔向けできない仕事を
こんな職場環境でこなすことに何の意味があるのか?


それでも、収入は会社からの給料に頼っていたため、
退職したら暮らしていけない。

初めての就職ですぐに辞めたとなれば、
再就職の際にも問題になるだろう。

そんなことを考えること自体、
会社に依存した生き方に染まっていた事に気づき、ぞっとした。

このまま一生を棒に振るのかと。


無能な上司という他人の思惑で
人生を左右されるのも望ましいわけがない。

お金によって会社につながれることも。


そう考えた時、
自分自身の力で、他人や会社に依存しないで
生きられるようになりたいと心から願った。

とは言え、
いきなり独立するような大胆な生き方ができる性格でもなく、
ビジネススキルもあまりに乏しかった。

そこで、まずは副業からスタートすることにした。

リスクのないところから始め、
軌道に乗ったら会社を退職し、
サラリーマンとしてではなく自分のビジネスで生きていこうと。


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リストラからの独立

最初は副業をすると言っても、
何をすればいいか分からなかった。

それが理解できているぐらいなら、
最初から就職しなかったかもしれない。

会社からの給料に頼った生活をしたかったわけではないが、
具体的な打開策が見いだせなかったからサラリーマンになった。


ひとまずは毎日本屋を巡って情報収集をし、
やることは決まった。

それからは会社から自宅に帰った後、
そして休日を副業に当てた。

サラリーマンを辞め、
自立した収入源を確保するために。

そして、独立して他人に支配されずに生きていくために。


すぐに結果が出ればよかったが、
右も左も分からない業界だったこともあり、
1万円を稼ぐのに9ヶ月かかった。

今なら迷走の理由もよくわかるし、
そんな長期を無駄にする必要もないが、
スキルも知識も適切な情報源もなかった当時は
仕方のないことだったのだろう。

それでも、会社に依存しない生き方をすると決めた以上、
挫折はしなかった。

単純に、毎日上司からの恫喝を受けていたので、
あきらめられなかっただけでもあるが。


9ヶ月目以降は順調に副業からの収入が伸び、
会社からの給料を越えるまでまもなくとなったある日、
唐突にリストラされた。

私が勤めていた会社ではよくあることで、
何の前触れもなく人がいなくなることは日常茶飯事。

まさか自分がその対象になるとは思わなかったが。

オーナー社長の強権で、
その日付けで退職願を出すことになった。

あとになって振り返れば、
多くの社員を辞めさせてきただけあって
洗練された行程であれよあれよと言う間に退職していた。

怖い刑事と優しい刑事ではないが、
説得係となだめる係にまで分かれて。


こうして急に職を失ったが、
すでに退職願を出すことが視野に入った段階だったので、
そのまま独立することにした。

案の定、給料としてもらっていた額を
すぐに越える収入を確保できたため、
その後8年がたった現在に至るまで生活に困ることはなかった。



どこにでも住めるようになり、海外へ

バンコクの高層アパートメント
お金の面で会社に依存しなくなった後、
特定の相手に頼ったビジネスモデルは危険だと感じた。

たとえば大口の取引先を持っていて、
その会社の意向によって売上が左右されたり、
下手をしたら0になってしまうような仕組みは問題がある。

中小企業だとそうした会社も少なからず存在し、
取引停止をちらつかせて無理な納期や
仕入れ価格の交渉材料に使われることもある。


相手に依存してしまえば、
それをネタに不利な交渉のテーブルにもつかざるを得ない。

だからこそ、そうしたリスクは避けてきた。

どの取引先が関係を切ってきたとしても、
収入が途絶えたり、激減したりすることのない仕組みを作った。


そして、場所にも依存しない生き方をしたいと思うようになった。

日本は地震をはじめとして天災が多い国。

特定の場所に住み続けなければいけなくなったら、
場所に伴うリスクが必ず発生する。

いくら免震構造の住宅に住んでも、
地震保険や火災保険に入っても、
何が起こるかわからない。

中国からの黄砂やPM2.5による汚染など、
現実に問題も起こっている。


オフィスを構えず、社員も雇わず、
どこにいても仕事ができるようになってから、
マレーシアに移住してみた。

別に一生住みたいと思っていたわけではなく、
あくまで実験的に。

海外で暮らすことを試してみれば、
生き方の選択肢が広がる気がした。


その直感は正しかったようで、
マレーシアで2年暮らした後はフィリピンに移り、
海外生活は続いた。

そして、私が日本を出た後に3.11の震災が起こったが、
外から冷静に見ていると
住んでいる土地に依存することの危険性をまざまざと感じさせられた

原発の問題もあり、海外移住を希望する人が増えた時期だが、
あの頃はそうした人の相談にも数多く乗っていた。

私は移住をサポートするプロではないし、
そうした職業に就いているわけでもないので、
あくまで個人的な体験をお伝えする形で。


こうした出来事もあり、
国にも依存しない生き方をしたいと思うようになった。

日本は先進国で政情も安定しているが、
災害のリスクは世界的に見ても大きい。

もし首都圏直下地震で経済がダメージを受ければ、
国際的な信用力にも関わる。

あるいは、また地震で原発に問題が起こったら?

それはありえない話ではない。



1つの国に依存しないためにとった行動


日本に限らず、どんな国に生まれても
必ず何らかのカントリーリスクは存在する。

それはアメリカ人でもタイ人でもドイツ人でも同じ。

むしろ日本はパスポートの信用力も高く、
インフラも整っていて治安も良く、
国際的に見れば住みやすい国。

しかし、そこにしか住めない生き方を続けるのは
どうしたものかと思った。


そこで、マレーシアではリタイアメントビザ(MM2Hというもの)、
フィリピンではクオータビザと呼ばれる永住権を取得した。

これで、日本以外にも無期限で住める国を2つ確保した。

正直、今となってはマレーシアのMM2Hは不要な気もするが、
日本も含めて3つの国に住めるというのは
大きなリスク分散になる。


また、もう1つの対策として、
資産を国際的に分散した。

香港を中心にマレーシアとフィリピン、シンガポールに銀行口座を持ち、
資産を米ドル、ユーロ、香港ドル、中国元等に分散。

現金だけではなく、
タイやフィリピンの不動産を買ったり、
ファンドや事業投資に分散したりもした。

こうして、特定の国の経済状態に依存しない生き方をするため、
お金の面での安定性を高めてきた。



自宅を失った場合のシミュレーション


日本・フィリピン・マレーシアに住める権利を確保した後、
次の実験を始めた。

それはビザのない状態であっても、
色々な国を転々として暮らせないかということ。

ノービザや観光ビザで入国し、
滞在期限が来る前に次の国に出国。

これを繰り返せば、
理論上延々旅暮らしができる。


ただし、ホテル生活を送ることが可能なのか?

まして国単位で飛び回って荷物はどうするのか?

そんな疑問も少なからず存在した。

そこで、試してみることにした。

これができれば、
より特定の国に依存しない生き方が可能になる。


結果、1年半のホテル生活を送り、
その間にはアジア・オセアニア・ヨーロッパ・北米を
ぐるっと周ってきたりもした。

約500日に渡る旅暮らしをして、
こうした生き方が可能であることを実証できた。

その後は一度セブでコンドミニアムを借りて住み、
再び旅暮らしに戻って1年が経とうとしている。



最初は会社に依存しない生き方をしたいと思っていただけだったが、
人生におけるリスクや不確定要素を減らそうと思ったら、
他人や国に頼りきる危険性も感じた。

だからこそ、誰かが、あるいはどこかの国が助けてくれないと
人生が根底から崩れるような生き方はやめた。


結果、会社からの給料ではなく、
自分の力で稼ぐようになった。

永住権やリタイアメントビザを取得し、
資産を分散して国への依存度も徹底的に下げた。


こうした積み重ねによって、
かつてのサラリーマン時代よりも
ずっと安定した環境を作ることができた。

一般的な感覚で見れば、
大手企業に勤めている人の方が無難に映るはず。

しかし、倒産やリストラが当たり前になり、
企業の平均寿命が一般的な労働年数の40年を切った今、
人と同じ生き方が安全とはとても言えない。


そんな時、自分の頭で考え、決断できることこそが
依存しないで生きていくために一番重要なのかもしれない。


海外に移住するのは本当に難しいのか?


日本を出て海外に住むようになってから
「海外に移住したい」という話をよく聞くようになった。

同時に、

「英語が苦手で・・・」

「海外での部屋選びで失敗しないか不安」

「他の国での生活を想像できない」

「下見で何を確認したらいいか分からない」

「移住後の仕事やお金が問題」

等々の様々な不安や悩みも耳にする。

そこで、10年以上海外で暮らし、
4ヵ国に住んできた経験を凝縮した電子書籍、
『「いつか海外に住みたい」を手の届く現実にするための本』
を無料でプレゼント
することにした。


電子書籍の目次等も掲載しているので、
プレゼントページへどうぞ

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