八方美人になるくらいなら四面楚歌の方がマシだという話


他人と接していると、つい誰にでも良い顔をしようと思って、八方美人になってしまうということは往々にしてよくあること。

別に悪意がなかったとしても、わざわざ会話や雰囲気を険悪にする必要はないわけだし、ある程度のコミュニケーションがある人であれば、八方美人になるということはそれほど難しいことではない。

特に短期的に見た場合はこのことは非常に容易になる。

しかしながら、自分の人生をコントロールしていくということを考えると、八方美人になるというのは非常に大きなリスクを伴っている。

まず誰にでも良い顔をしようというのは、自分の主張を時として曲げたり、あるいは押し殺したりするということになる。

例えば会社を辞めたいと思ったとしても、そのことによって妻や両親あるいは親戚等に顔が立たないということであれば意味もなく会社に勤め続けるとか、そういった判断を下すことになる。

実際問題としてそれは判断というよりも、ただ単に問題を先送りしているだけということも多く、長い目で見た時に自分の為にも家族の為にもならないのに軋轢を避けるためにそういった気まずいことを先送りにしてしまうということは誰にでも経験があるのではないかと思う。

そういったことを考えると、時には四面楚歌になってワンマンといえるくらいの判断や決断が出来る人の方がよほど自主的に人生をコントロールしていけるのではないかと思う。

そもそもワンマンという言葉は、会社経営等では時に嫌がられるものではあるものの、自分自身の人生を自らコントロールするということは極めて当たり前のこと。

実際問題として言えば、家族がいれば自分の人生というのは一人だけのものではないし、相互に関連しあっているという意味で言えば、相手のことも考えなければいけないのは事実。

しかしながら、将来を見据えてキャリア形成やライフスタイルの選択をしていくときに相手が短期的な視点でしかものを見れないとか、もしくは先入観によって色眼鏡で見ているために真実が見えていないと感じることもある。

そういった場合には時に強引な決断をして一時的な四面楚歌になってもやむを得ないという決断をすることによって、時として一家であったりあるいはそのグループを引っ張っていく存在になることが出来る。

強いリーダーというのは、必ずしもチームメンバーから慕われるとは限らない。

過去に縛られて未来に対して柔軟に順応することが出来ないフォロワーを、無理やりにでも引っ張っていくということもまた、有能なリーダーの条件。

例えばカルロス・ゴーンも結果を出すまでは様々な批判にさらされていたものの、今では日産を立て直したヒーローとして名前を挙げられる。

四面楚歌になったからと言って、理解を求めるという態度を放棄することは許されないが、説明責任を取るということを前提にするのであれば、時には大胆にそして嫌われることも覚悟して決断をするということは、現代の日本のような社会においては非常に重要なことなのではないかと感じる。

特に今のような時代の変わり目という状況では、変化をしないで安定を求めるということ自体がリスクになるので、イノベーターやリーダーとしての素質を持っているのであれば、それを存分に発揮することが社会的な責任であるとすら言える。


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