食べるための仕事からより善く生きるための仕事への移行


食べるために働くというのは、人間として発展性のない状態だが、問題はどうやってその段階から脱出するかということ。
生業というのは、生きていくために最低限必要なこととして理解されることがある。

例えば食事を摂るとか、屋根の下で眠るために部屋を借りる、もしくは自宅を買うとか最低限の衣服を購入できる費用を得るとか、こういったことと言うのが職業生活において最低限、必要とされること。

衣食住が足りない状態では礼節を欠くということも言われるが、これもある意味では仕方のない話。

その一方で現代の日本人というのは非常に豊かな社会に生きているので、本当の意味でただ食べていくためだけの職を選ぶという必要はなくなっている。

極端なことを言えば、時給800円のアルバイトで働いているだけであっても、当面の生活を賄うことが出来る。

そしてこれからの時代、あるいは既に現在始まっていることとしては、善く生きるために働くということが様々な場面で顕著になっている。


ここで言う生きるためというのは二つの意味があって、まず一つ目の意味としては最低限、命をつなぐという意味。

これはもはや食べていくというよりも、よりシビアな意味で最低限の生活を送れるかどうかと言う話。

確かに非正規雇用であろうと、とりあえず目の前の問題を解決することが出来る程度の収入を得るということは、日本において難しくはない。

40代でも職を選ばなければ日雇いの労働が出来るということも聞いているし、住む場所に変にこだわりを持ったりしなければ、とりあえず生きていくことは出来る。

しかしながら、真綿で首を締められるようにじわじわと追い込まれていくというのも、現在の日本の社会においては蔓延していて、ある程度の社会的に受け入れられるようなキャリアを積んでおかないと、段々まともな職に就くのも難しくなってくるし、そうなった場合に体調を崩したりすると医療費を払えないとか、もしくはその間の生活費を稼ぐことが出来ないので、そこで人生が詰んでしまうという現象も見られる。

こういった、長期的にじわじわと泥沼に引き込まれて、食べるために働くことで消耗し、そこから這い上がることが出来なくなることで目先の問題以外をとにかく先送りし、最低限の生存を満たすために働くというのが、生きるための仕事、あるいは食べるために働くという一つ目の意味。

そして二つ目の意味としては、人生の目的とかあるいは充実感や喜びを得るための職業生活というのが、これからの生き方において求められるもの。

かつて猛烈社員が優遇されていた時代の日本においてはとにかく出世をするとか、あるいは給料を上げていく、もしくは会社の業績が良くてボーナスがたくさん貰えたとか、そういったことが社会的にも高く評価されていた。

しかしながら、もはや日本というのはファミリー世帯も少なくなっているわけだし、少子高齢化が起こるということはそもそもの購買力自体が弱くなる。

そういった社会において右肩上がりの業績を望むというのは非常に難しいことだし、それよりはやり甲斐とか働き甲斐を求めて、単なるお金だけが目的ではないところにシフトする方向に、すでに一部の会社であったり個人は移行している。

実際、私の周りにも売り上げや利益の金額を追及するのではなくて自分のライフスタイルを築くことを優先して、やりたくないことはやらないとか、顧客を選ぶとかそういったことをミッションに掲げている人は増えてきた。

こういった理念を持った企業や個人がこれからは活躍していくし、結果的に多少給料が少ないとかそういった問題があっても、人生の満足度というのは上がっていくことが予測される。

二つの生きるための仕事の意味のどちらに該当するかで、これから先の人生というのは大きく変わってきてしまう。




本音を言うと

どんな仕事をするか、どこに住むか、誰と付き合うか?

本当はすべてあなた自身が決めることなのに、
現実の世界ではそれが許されない。

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