世界の食文化を経験することは楽しいことではないのかもしれない

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海外旅行の楽しみの一つといえば、その国の料理を楽しむことと言われることが多い。

しかしながら、その前提はもしかしたら間違っているのかもしれない。

一般的に、各地の食文化はいかにしてその土地のものを美味しく食べるかとか、あるいは保存食として長く食べられる状態をキープすることが出来るように加工するかとか、そういったところに注目をして説明されることが一般的。

しかしながら、生存競争という昔の原理を考えてみると、それとはまた違った一面が見えてくる。

例えば隣の集落で美味しそうなものを食べていたら、その方法を知りたいと思ったり、もしくはその原材料となる食材を手に入れたいと思うのが人の心理。

相手を魅了してしまうことによって、争いの種になる。

これに対して、周囲の集落の人間が「あんなものはとても食べたくはない」と顔をしかめて嫌悪するようなものを食文化として取り入れておけば、争いに巻き込まれることはなく、結果的に生き延びていくために有利な条件を作ることが出来る。

例えばエスカルゴはカタツムリなので、日本人にとっては抵抗があるフランス料理の一つ。

あるいはスッポンとか、中国でよく食べるカエルとか、こういったものをわざわざ食べようと思う人は限られる。

実際、そこに高いお金を出すとか、もしくは食材を奪ってでも何としてでも食べてみようというほどのパッションを持っている人は、非常に少ないのではないかと思う。

そういったことで考えてみると、この辺の食材は生き残り戦略の上で秀逸なところがあって、ゲテモノだからこそ相手の欲望を刺激せず、自分たちだけで安定して食文化として楽しんでいくことが出来るようになる。

このことを考えてみると、世界の食習慣はそれぞれに独立したものであって、他所の国の食べ物が必ずしも美味しいというわけではない。

これはアフリカでどのようなものが食べられているか、テレビのドキュメント等で見てみればよく分かること。

おそらくアリや虫を食べたいと思う日本人は稀だろうし、アフリカでの主食となっている芋を見て、あれを美味しそうだと感じる人も少数派であると思う。

さすがにアフリカの場合は食べ物の量自体が豊かではないので、味にまでこだわっていられないという部分はあるし、そもそもいま現在は隣近所の集落やグループとの比較だけではなくて、各国が緊密につながっているので、食文化が国際化している部分もある。

そういった意味で海外の料理の中に抵抗の少ないものも増えているし、かつての原理原則がそのまま通用するわけではない。

そういった意味で食文化を気軽に楽しむ環境が出来ているし、そもそも東京のような街であれば、トルコ料理やスロバキア料理のようなそれ程メジャーとは言えないようなものまで含めて色々と食べることが出来るので、現地に行くまでの間にも慣れ親しんでおくことが出来る。

そういった意味で、実際にその土地の空気や風土を楽しみながら食事を満喫することが出来るのは、確かに旅行の楽しみの一つ。

しかしながら、そういった名物料理の中にハズレだと思うような食品が多いのも、こういった歴史的な経緯を考えてみれば当然のことと言える。

ちなみに私の経験であったり、あるいは移住仲間達の話を聞いていても、パスタやピザについては日本で食べるのが一番おいしい。

本場イタリアやイタリアンのお店が多いフィリピン以上に、パスタにおいては特に日本のものが美味しいことを記録として残しておきたい。


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