パワハラと神かくし

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マスコミやネット上で話題になっているからといって、
そんな最新の流行が私の身に降り掛かってくることはめったにない。

流行にもオシャレにもうとい男なのだから。


そんな私の身にも、パワハラという流行は降ってきた。

さらに言えば、話題になる直前の(私が知るかぎりでは)
ブラック企業というものに入社してしまった。



私がその会社に入ったのには、確たる理由はない。

リクナビで見つけた「未経験可」の会社をいくつか絞込むと、
20万円程度の給料の会社はいくらでもあったので、
その中から適当に選んで3つの会社の面接を受けてみた。

適当というと人聞きは悪いが、
違いが分からないのだから仕方がない。



最初の不動産会社は1次面接の場で採用が決まり、
試用期間の3ヶ月はバイトということだった。

15分足らずで終わった面接で採用というのは不安が残り、
ここは辞退した。


残る2社のうち、入社した会社は2次面接で終了し、
もう1つの水産会社は次に3次の役員面接に進むことになった。

7月にジャケットを含めて
スーツ姿で歩きまわるのに嫌気がさしていたことと、
2社の違いが分からなかったことから先に採用が決まったほうに入った。


そう言えば、その水産会社が2次面接で
「うちは体育会系のところがあるけど」と言っていたのも、
その会社をあきらめた理由の一つだった。

あの時、「うちは帰宅部系の会社だから」と言ってくれれば、
活躍の場を見つけたとばかりに入社したのだろう。

この際、嘘でいいから言ってほしかった。



適当な理由で入社した会社で最初に分かったのは、
上司が散々部下を壊して退職に追い込んできた部署ということだった。

私自身、最初は経理希望で面接を受けていたが、
配属は営業事務だった。

要は年中人が足りず、
不人気職種なので他の部署から引っ張ってこないと、
求人をしても誰も来ないのだ。


そして引っ張られた部署で
直属の上司からのパワハラが始まった。

中小企業なので、部署といっても8人しかいない。

その中で部署のトップである部長もすぐ近くにいるわけだが、
彼は私の直属のクラッシャー上司を管理することをあきらめていた。

それまでの経緯で何があったのか正確には知らないが、
普段のやり取りから予想はつく。


クラッシャー上司が牙をむくのは部下だけではない。

気に入らなければ上司にも徹底的に罵声を浴びせる。

それでも仕事はできるということで
主任のポジションは与えられていたが、
いくつもの会社を転々としてきたのも納得だ。

そして、部長は何もしない。

クラッシャー上司が帰った後、
ネチネチと文句を言うだけ。

バイトや派遣として色々な職場を見てきたが、
これほどまでに管理職という言葉が機能していない会社はなかった。



もはや向かうところ敵なしのクラッシャー上司は、
久しぶりに入ってきた新人に標的を定め、
これまでに(本人なりには)ためこんでいたであろう
ストレスのはけ口として、
毎日1時間以上はコンスタントに罵声を浴びせ続けた。

長い日はその時間は3時間に及び、
「部下を叱る時は相手の人格は否定せず、
 あくまで具体的な仕事について叱るものだ」
というどこかで読んだビジネス書とは真逆のことをやってのけた。

とりあえず、
育ちから否定されるとやる気がなくなることは間違いない、
体験者としてそう言える。


さらに言えば、その会社の主力事業においては
グレーを通り越して完全に法的にアウトな営業方法を行なっていた。

実際、同じ事をして逮捕者が出た会社もある。

見事なブラック企業だった。

当時、この言葉は知らなかったが。



冷静に考えれば
そんな会社などすぐに辞めてしまえばいいような気がするが、
当時は入社して3年は勤めないと
転職も厳しいという噂を信じていた。

1年以内に辞めたりすれば、転職先もないという。


そんなわけで、罵声を浴びせられながら
単純作業の入力業務を中心とした仕事に従事していた。

今になって振り返ると
システムを作れば簡単に済む仕事なのだが、
誰一人としてネットやパソコンに詳しくない会社には
そんな発想もない。

なにせ社内にメールを導入しようとしただけで大騒ぎになり、
パソコンを使えない幹部が激怒して
発案者を怒鳴り散らした会社なので。


食欲はなくなり、
元からひ弱な体はガリガリになっていった。

体重が50キロに迫ってきた時には
さすがに身の危険を感じた。



人生を楽しむ気力はなくなり、
ただ会社に行くのが嫌だった。

そんな時に行ったのは、
とりあえず転職しやすい状況を作るため、
資格を取ろうという試みだ。

職歴が短い分を、
少しでも資格が補ってくれるのなら取る価値はある。

過去に司法書士の勉強もしたことがあるし、
同じ法律系の資格なら比較的取りやすいと思い、
ビジネス実務法務検定という資格を見つけた。

真夏に入社し、試験が12月。

ビジネス実務法務検定の2級を取得し、
入社して1年後に退職届を出すことにした。



試験には受かった。

司法書士試験に落ち続けた成果か。

とは言え、年が明ければやることはない。

上の級を取ったところで、所詮は専門職ではない資格。

勤務歴の短さをフォローする効果は小さいだろう。



何より、私は勤め人であることに疑問を感じていた。

転職先もブラック企業だったらどうするのか?

私には見抜けない自信がある。



どうせ会社に頼れる時代ではない。

そして、私は会社に勤めたいわけでもない。

ただ、起業するような能力も知識も経験も人脈も資金もない。

驚くほど何もないので、やむをえず会社にたかって生きているわけだ。



そんな状況を変えられないかと、本屋をさまよった。

すると、いくつかの本が目についた。

インターネットを使って稼げば、資金はいらないらしい。

ただホームページに広告を載せればいいそうだ。

アフィリエイトというらしい。



ホームページなんて作れないが、
それはブログを使えば解決すると書いてあった。

ブログなら、知識がなくても誰でも作れる、と。



ヨーロッパまではるばる運ばれたものの、
ロンドンでまったく活躍の場を与えられず、
船便で送り返されて以来、
到着時に壊れていないか確認するために
1度電源を付けたきりのパソコンを起動してみた。

あれから何ヶ月もたっているが、幸いにもまだ無事に動く。


とりあえずブログを作ってみることにした。

そもそも、ブログとはどうやって作ればいいのか分からず、
ぼんやりとパソコンを眺めていると、
初期ページに設定されていたYahooのトップページの左側に
「ブログ」の項目が。

早速、そこから作ってみることにした。



このブログとやらを作れば
あのクラッシャー上司ともおさらばできる。

責任を果たす気なしの部長に退職届を出して、
それで自由になれる。

そう思うと、
会社以外の時間のすべてを
ブログの更新に費やすことの他に選択肢はなかった。



これまでに私が何の才能も見せていなかったのは、
この分野に出会っていなかったかもしれない。

そう思えるほど、驚くべき快進撃が始まった、
という事実は存在しない。


驚いたのは、8ヶ月も報酬が発生しなかったことだ。

そもそも、私はブログもアフィリエイトも
意味が分かっていなかった。

何となくYahooブログを最初に作ってみたが、
それはアフィリエイトをするための
ブログでもないことが後に判明する。


そして、ブログでどうやって稼ぐのか、
それも知らなかった。

そして、調べる方法もよく分からなかった。

昼休みにお決まりの立ち食いそばか
ワンコインの定食屋で素早く昼食を済ませ、
空いた時間で本屋に通ってその道の本を読んでいったが、
最初は本当に右も左も分からず、分かっていないことも分からず、
まずは方法を調べなければならないことも分からない始末だった。


徐々に集客の方法だったり
広告への誘導の方法を知ることになったが、
今になって思えば
普通に調べれば1ヶ月で済むようなところを、
8ヶ月も右往左往していたことになる。

パソコンとビジネスの両方に
音痴という致命的な欠陥を思う存分に浮彫りにし、
伝統工芸士もびっくりな痕跡を掘り残した時期だった。



この時の私の8ヶ月の経緯が
1,000年先まで残ったとしたら、
31世紀の人類は自分たちの進歩に誇りを持つだろう。

1,000年前の人類はどれだけ無能だったのだろうと。

はるか未来の子孫に希望をもたらしたとなると、
私の無数に乱立する功績の1つに数えていいのかもしれない。



それほどの要領の悪さと無計画ぶりを発揮した私だが、
やり方を変えたら翌月に結果が出た。

9ヶ月目に稼いだ月収、13,283円。

あの金額は、現在入ってくる100万よりも
はるかに大きな感動をもたらしてくれた。

毎日の報酬推移に文字通り小躍りし、
本当に小躍りする人間がいる事実に驚いた。



0から1を生み出せれば
その方法を信じて突き進むだけ。

後は楽だった。

3万円、5万円、7万円、8万円、12万円と
月を追うごとに増加していった。

8ヶ月の停滞が嘘のようだ。



給料を超えたら、退職届を出そうと決めていた。

そんな矢先、神かくしにあった。

要はリストラだ。

勤めていた会社では予告なしに人がいなくなり、
その後も表向きは何のアナウンスもされないことが頻繁にあった。


中小企業での出来事だ。

他部署とはいえ、何日も見かけなければ気づく。

そこで聞いてみると、急に辞めた、というより
辞めさせられたことが分かる。

もちろん、詳しい話はタブーだ。

狭い社内では真実は語られない。



私は会社を辞めることしか頭になかったし、
部署内は人間関係が悪いために連れ立って昼食に行ったり、
終業後に飲みに行くようなことはなかったので
詳しいことは知らない。

ただ、他の部署とばったり昼休みに遭遇し、
昼食の誘いを断れない時に聞いたところでは、

社長の気に入らないことを言ったとか、

通勤に2時間半以上かかる場所への転勤に
シングルマザーの社員が難色を示したとか、

他部署への移動
(社内での不人気度ダントツNo.1の
 私がいた部署への移動の打診だったそうだ)
を断ったとか、

そういうことが原因らしい。


こつ然と社内から人が消える神かくしが常態化してはいたが、
我が身に振りかかるとは思わなかった。

たとえ初めて入社した会社がブラック企業でも、
入社と同時にパワハラが始まっても、
何でもかんでも災いが我が身に降り掛かってくるとは思わない。

が、降り掛かってきた。

私はブラックホールか・・・。



神かくしで隠された本人としても、
何だか現実感が持てないうちに会社を辞めていた感覚で、
ある意味で夢見心地だった。

今振り返っても、あの手法は鮮やかだったと思う。

もはや確定事項として今日辞めることを告げて
選択の余地を提示せず、
パワハラから解放されることを暗に示して背中を押す。

そして、即日でリストラしているわけだが、

退職届をその場で書いて提出するので、
形式上は自己退職ということになる。

会社都合での退職は会社側には不利なので、
こうした点もしっかりケアしていた。


ある意味、職人技だろう。

この流水のような流れを極めるために、
これまでに何人の社員が神かくしにあってきたのだろう。

私が入社してから、
辞めるまでの2年足らずの間にも
神かくしにあったのは5人では済まなかった。

何度も言うが、中小企業での人数だ。

総社員数は20人台なのに、この有り様。



あの会社には40代や50代はいなかったが、
そういうことだったのだ。

次々に神かくしにあったり、自ら辞めていったり、
そうして新しく人が入ってくるものの続かず・・・。

役員は外から連れてきた
社長と交流のある60代以上ばかりというわけだ。



こうして、私の勤め人生活は唐突に終わりを告げた。

心の準備も何もなかったし、
退職届を叩きつけるという夢は永遠にかなわないことになった。


プロフィール最終7話:独立後、世界を狭めてみた


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