すぐにその先の道が決まったわけではない。
何しろ、本当に会社を辞めたのか実感のないまま、
ぼんやりと帰途についたぐらいなのだから。
神かくし翌日にはこれまでの副業を本業にしていくのか、
他の再就職先を探すのかを考えなくてはならなかった。
リクナビを再び開いてみて、
見覚えのある画面がそのままであることに安心したような、
信頼できないような気持ちになり、
かと言って決断がすぐにできるわけでもない。
落ち着かない気持ちで狭い部屋にこもっていることに嫌気がさし、
外に出た。
平日の昼間に住宅街をウロウロしていると、
歩いているのは大学生かおばさんばかりだ。
時間帯的に学校や幼稚園に通っているような子供もいない。
コンビニに入って、立ち読みでもすることにした。
しかし、何も頭に入ってこない。
漫画を読んでいても何が楽しいのか理解できず、
本を棚に戻して店を後にした。
駅前まで来ると
サラリーマンの姿もちらほら見かけるようになった。
スーツをきっちり着こなして、
これから取引先にでも出向く途中だろうか?
桜も散ったこの季節が梅雨になり、
夏になっても彼らはジャケットを着て暑さと戦うのだろうか?
不機嫌そうに歩いているサラリーマンを見ると、
希望が待っているようには見えなかった。
いくら身を粉にしたところで
安定した将来すらも約束されていないのに・・・。
勤め人の立場に戻ることに、希望がないことは分かっている。
これから先の時代、
会社にしがみついて運任せの生き方をするのはリスクが大きすぎる。
決断の時だ。
迷いを振り切るように、ただ足を動かした。
目的もなく、ただ歩く、歩く。
勤め人時代の副業の月収は12万円台が最高記録。
右肩上がりできていることを考えれば、
生活していくのに無理はないはず。
独身なのだし、最初は節約して暮らせばいいし、
それでも足りなくなればバイトでもすればいい。
そう考え、私はネットで稼ぐという世の中の少数派どころか、
むしろ周囲の誰にも理解されない道を選んだ。
親に言えば、意味不明なことを言い出した息子を
社会のまっとうな道に連れ戻そうとするし、
中学時代の友人に話しても
興味半分で聞いてはくれるものの、
本気で稼げるとは思っていない。
それでも、私には確信があった。
何しろ、副業でも稼げていたのだ。
本業にして稼げないわけがない。
案の定、神かくし事件から3ヶ月後には
勤め人時代の給料を越えた。
上司からの恫喝に耐え、
人間関係が崩壊した職場でフラフラになりながら働かなくても、
お金は稼げた。
この時に私が取っていた手法は
ただブログを作り、そこに広告を載せるだけ。
誰かとのやり取りもない。
上司や部下がいないのはもちろんのこと、
取引先や顧客とのやり取りも発生しない。
対面で何かを売り込む必要がないどころか、
電話やFAX、メールすら必要ない。
人間関係から解放された仕事だった。
それからの日々は、大部分が自宅とその周囲で完結した。
最初の1年は電車に乗ることすら
片手で数えられる程度の回数だったし、
自転車で行ける範囲が主な行動範囲になった。
この行動圏の狭さは中学以来だ。
単純に遠くに行きたいと思わなかった。
その後、時々高尾山に登ってみたり、
松島へ旅行したことはあったが、
基本的に静かに時間が過ぎていった。
専業で取り組んでいけば、当然ながらスキルも上がる。
最初は食っていけるかどうかも分からなかったビジネスも、
徐々に成長してきた。
外注スタッフに仕事を依頼するようになり、
生活に余裕も出てきた。
勤め人時代のクラッシャー上司や
無責任な部長の給料もあっさり越えた。
静かに日々が過ぎていくことは
過酷な勤め人時代を経験した身としては幸せだった。
そこから約3年間、そうして過ごしていた。
そして、飽きた。
特に大きな変化が訪れるわけでもなく、毎日は過ぎていく。
それはそれでいいのだが、
もう少し変化があってもいいような気がした。
そこで候補に上がったのが、海外移住という選択だった。
マレーシアがいいらしいという話を聞き、
偶然にもそこに移住するという人のメルマガも読んでいた。
オフ会があったので、珍しく重い腰を上げて参加してみた。
お笑い芸人が多く住んでいるという阿佐ヶ谷で
開催されたオフ会で直に話を聞き、
心が久しぶりに弾むような感覚がした。
考えてみれば、別に日本にいる必要はない。
マレーシアに行っても不都合がない以上、それでいい気がする。
オフ会の翌月、バッグ1つを持って私はマレーシアに旅立った。
これが2度目の海外渡航であり、
マレーシアはもちろん、東南アジアに行くのは初めてだ。
英語も相変わらず勉強していない。
大地に根ざした、
というよりも腰に根でも生えたように
動かざること山のごとしだったところから、
いきなりの海外移住。
どうもバランス感覚はどこかに置き忘れてしまったらしい。
どこに置いてきたか分からないし、
紛失届けを出して戻ってくる気はしないので放っておくことにする。
それでも、男1人での生活なんてどうにでもなるもの。
部屋探しは到着した日に完了し、
プールとジム付きのコンドミニアムに住むことになった。
その後には、タクシーの運転手と何度か揉めたり、
中国を旅していたら顔面からダラダラ流血して
傷が残る事件に巻き込まれたり、
日本屈指のエンジニアや年収億単位の社長、
資産100億以上の大富豪と出会ったり、
色々なことあった。
その辺のことは、現代の秘密結社、変わり者養成所等の異名を持つ
世界4大自由倶楽部で詳しく話そうと思う。
リアルタイムで進んでいることでもあるので。
海外に移住するのは本当に難しいのか?
日本を出て海外に住むようになってから
「海外に移住したい」という話をよく聞くようになった。
同時に、
「英語が苦手で・・・」
「海外での部屋選びで失敗しないか不安」
「他の国での生活を想像できない」
「下見で何を確認したらいいか分からない」
「移住後の仕事やお金が問題」
等々の様々な不安や悩みも耳にする。
そこで、10年以上海外で暮らし、
4ヵ国に住んできた経験を凝縮した電子書籍、
『「いつか海外に住みたい」を手の届く現実にするための本』
を無料でプレゼントすることにした。
電子書籍の目次等も掲載しているので、
プレゼントページへどうぞ。
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