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外国暮らしが長いと国際人になれるとは限らない



日本に住んでいた頃のイメージとして、外国暮らしが長ければそれだけ英語が上達したり、異文化への理解が進んだりして、国際人になれるのではないかとおぼろげに考えていた。

実際に自分が海外に移住する前からぼんやりとそんなイメージがあったし、おそらくたいていの人が多かれ少なかれ、そういった考えを持っているのではないかと思う。

しかしながら、すでに外国暮らしが4年以上になっているが、自分自身や、これまで関わってきた海外居住者を含めて、必ずしもそれが真実ではないと考えをひるがえした。

まず日本人が思い浮かべる国際人の条件として語学力があると思うので、その点から見ていきたい。


海外に居れば英語が上達するわけではない

私の友人のある夫妻は、中国の国境の町、珠海に子供を連れて移住し、その後反日運動が高まってきた時にフィリピンのセブに移った。

どちらの町に住んでいる時にも何度か会っているが、彼ら夫妻は中国語も英語も話せない。

しかしながら、小学生の子供は、どちらの言葉も話せるようになったという。

ただし、フィリピン暮らしが長くなってからは、中国語を使う機会がないので徐々に忘れていってしまっているということで、時折香港に連れて行ったりしていた。

子供は現地の人と学校でも交わる機会があるため、言語をどんどん覚えていく。

日本人学校等で、極端に隔離されている場合であれば例外的なケースはあるが、環境に応じて適応していく力は、一般的に子供の方が大人よりも高い。

対して大人の場合、外国暮らしをしていても、必ずしも英語を話す機会が多いわけではない。

これは意外に思うかもしれないが、日本で住んでいる時の日常生活を思い浮かべてほしい。

特に都市部の場合であれば、近所付き合いもないところが多いので、仕事や特定の友人以外と会話を交わすことは、ほとんどない人も多いはず。

休みの日に友人や家族と会わず、誰とも話さずに1日が終わった経験もあるだろう。

そう考えてみると、日本人が日本で暮らす上で日本語を話す機会も、それなりに限られているし、まして我々が外国人として海外で暮らす場合も、原則としてそれは同じこと。

しかも話す相手は、レストランでのウエイターやウエイトレスに注文をするとか、あるいは会計をしてもらうとか、そういった決まりきった場面のことが多く、日常会話や込み入った話をする機会は、そこまで多いわけではない。

通常、外国暮らしをする場合は、その国の人以外でも安全に暮らせるような治安がよく、外国人が多いエリアを選ぶことになるので、現地の人にとっても日本人が珍しいわけでもなく、積極的に話しかけられたりすることもない。

そうなってくると、現地で仕事をしていたり、あるいは留学して学校に通っているような場合であればともかく、それ以外の普通に暮らしているだけという場合は、現地語も英語もそこまで使う機会はなかったりする。

私自身、フィリピンに住んでいても、フィリピンの言語であるタガログ語を学ぼうという意欲は一切起らなかったし、マレーシアでのマレー語も同じこと。

永住するつもりでもなかったので、マイナー言語を学ぶ事へのモチベーションが微塵も感じられなかった。

英語に関して言えば、日本にいた頃は全く使っていなかったので、それに比べるといくらかの上達は見られたものの、劇的に改善するわけでもなく、相変わらずカタコトの状態であることに変わりはない。


異文化の理解という嘘

国際性豊かな人間になるためには、様々な国の文化や歴史を理解するというのは、確かに必要なことだと思う。

しかしながら、「様々な国の文化や歴史」の定義は、非常に難しい。

例えば日本人がフィリピンに移住をして、その国の文化や歴史を理解したとして、それで国際人と言えるかというと、それはかなり怪しい。

そもそもフィリピンは世界の中で特別に影響力を持っているわけではないし、かといって、人口も1億人を突破しているので、マイナーな国と切り捨てるわけにもいかない。

しかしながら、世界に約200以上の国と地域がある以上、全てを理解することもできないし、かといって、日本に加えて1つか2つの国を理解したぐらいで、国際人と呼べるのかというと、それも怪しい。

外国暮らしをしてるといっても、多くの人は、一つの国に定住している場合が多い。

さらに言えば、よほど無神経でない限り、外国人相手に歴史問題にずかずか踏み込んでくるようなこともないし、向こうが自分達の文化を声高に主張してくるわけでもない。

そういった意味で言うと、よほど深い接点を持っていない限りは、相手の国の文化に触れる機会は、意外に少ないもの。

そういった意味で、ただ単に外国に長く暮らしていれば、異文化への理解が進むかというと、これはかなり疑わしいものがある。

ちなみに日本人は、他者の文化や考え方への寛容性は高い国民性を持っていると思う。

一神教ではないので、他者の宗教に対しても特に気にしないし、他者の信仰を排斥しようとは考えない。

特に被害が自分達に及ばない限りは、大抵の考え方をそれはそれとして受け入れることができる。

自分達と違うものを強烈に拒絶する人達も世界にはいるので、それに比べると、やはり和を重んじる国民性があると感じるので、その意味では、世界に出た時に評判がいいのもわかる。

一方で、よく指摘されるように、自己主張が弱いために甘く見くびられ、結果として損をしているのも残念ながら事実だろう。


外国暮らしが長くなると日本人らしさを失うのか?

私が最初に移住した国はマレーシアだったが、その時に和食レストランに通っていて、感じていたことがある。

それは日本人駐在員が、どうも現地化というよりも、中国人化しているような印象があったこと。

マレーシアの和食レストランのスタッフは多くの場合、日本語はできないが、駐在員たちが日本では考えられないぐらいの店員の悪口を平気で言っていることや、妙に喫煙率が高いことがそういった印象を促していた。

しかもこれは、1人や2人の話ではなくて、頻繁に見られることだった。

これは客の側にだけあることではなくて、ジャカルタのあるラーメン屋の店主は日本人だったが、店員に向かってあり得ないほど口汚く罵っていたのだが、しかもそれが客の前であるのが、かなりの衝撃だった。

本格的な美味しいラーメンだったが、油のため以上の重さを胃の辺りに感じて、店を後にすることになった。

こういった礼節を欠いた行為という部分で日本人らしさを失うことは、多かれ少なかれ外国暮らしが長いとあるのかもしれない。

ましてそこで仕事をすることになれば、現地人へのストレスも募るだろうし、それがこういった形で噴出してしまうのかもしれない。

また、移住してきた当初は、空港でも日本人として扱われていたのが、だんだん中国人と間違えられる機会が増えてきた。

そして、私の友人数人の体験談を聞いても、やはり同じような傾向にあるらしい。

おそらく原因としては、海外で買った服や、海外の美容院で切った髪型、さらには表情や仕草がどこか日本人とは離れてくるのかもしれない。

確かに外国暮らしを3年ほどしてから日本に一時帰国した時には、妙に日本は丁寧だと感じたし、若干の違和感があった。

普段目にする外国人の行動が作用して、やはり自分自信にも影響を及ぼしているはず。

そういった意味で言うと、細かな所作や表情において、外国暮らしが長いことで日本人らしさを失っていくのかもしれない。

もっとも、私は欧米に住んでいるわけではないので、オーバーリアクションやわざとらしい英語の発音が身に付くわけでもなく、影響は小さくとどまっているらしい。


大切なことを

どんな仕事をするか、どこに住むか、誰と付き合うか?

本当はすべてあなた自身が決めることなのに、
現実の世界ではそれが許されない。

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