クアラルンプールからイポーという町まで、KTMという電車を使って移動してきた。
そのときにずっと車窓を眺めていたが色々と感じたことがある。
なぜかこのKTMという電車は全席が後ろ側を向いて移動するという若干気持ち悪いもので、そう言えば中学の修学旅行の時に同じ状態になって、京都につくまでに新幹線の中で乗り物酔いになり、しかもそれが半日ほど続いて、金閣寺で吐きそうになりながらどうにかこうにか耐えていた記憶がある。
今になって思えば、担任にその旨を告げて宿で休んでいてもよかったはずだが、思春期真っ只中で人見知りの中学生の時にはそういった自己主張ができず、とりあえずグロッキーな状態であってもクラスの予定に合わせてついていった。
今では考えがたいところではあるが、そういった常識人なところがかつての私にはあった。
それはそうとして、そのクアラルンプールからイポーへの移動中の車窓は、基本的にはそれほど変わり映えのしない景色。
時々人が住んでいると思われる地域に差しかかったり、あるいはパームヤシや畑が広がっているだけだったり、基本的には町とは呼ばれない場所を通過していたことになる。
もし仮にこういったところで途中下車して、ブラブラと歩いてみたらどうなるかということを考えてみた。
実際問題として私は二つのバッグを両手に持っているし、しかも背中にはバックパックを背負っているのでかなり重く、それ自体が枷になってしまうのでぶらり途中下車の旅のような行動は取らないと思ったが、もし仮にもっと身軽な装備だとしたら、そんな旅をしてみるのも面白く感じる。
しかしながら、現実として考えた時に、単なる田舎町、あるいは人里はなれた駅に降り立ったところで結局何も起こらない。
そもそもどちらに行けば人がいるのかわからないし、マレーシア人はあまり英語が通じないので、遭遇したところでまったく理解してもらえない可能性が高い。
しかも、これはクアラルンプールやイポーというある程度大きな町での話なので、田舎町に行けば英語が通じる割合はさらに下がることが予測される。
こうして考えてみると、下手なところに旅行に行けば泊まるところすら見つけられない可能性もある。
あるいはイポーで実際に起こったことだが、食事をしようと思っても適当なレストランが見つからない。
一応イポーは食べるところはたくさんあるものの、ワンパターンなローカルレストランばかりで日本料理が食べられるレストランは一つも見つからなかった。
東京寿司というすし屋が定食の看板を電光掲示板に表示して宣伝はしていたものの、周囲にその店があるわけでもなく、まったく場所がわからずに通り過ぎることになった。
そして洋食をを食べようと思っても、本格的な店になるとバーやパブくらいしかなく、結局二日続けて夕食は同じ店でとろうかと思ったらすでにその店は人がたくさん入っていて、店内で喫煙をしている状態だったのでタバコくさくて食事どころではないと思って、近くの他のパブにはいることにした。
ここのシーザーサラダはとてもおいしかったし、ドレッシングもよかったのだが、そのあとに出てきたシーフードピザはひどくまずかった。
とても店で出すようなレベルではなく、それこそ冷凍食品を自宅で温めていまいち加熱が足りない状態で食べてしまったといった具合。
あまり人が入っていなかったのも納得できたが、残念ながらイポーの食のレベルはこんなもの。
しかしながら、それでもマレーシア第三の都市ということを考えると、これ以上田舎にいった場合深刻に食べる場所がないとか、あるいは泊まるところがないといったこともあるので、よりいっそう旅行者としては困ることになる。
もちろんそういったところではタクシーも走っていないので、移動手段も確保できない恐れがある。
これは実際に暮らすことを考えたときも同じで、スーパーがないとか、あるいは移動手段や食べる場所、例えばレストランがないとか、そういったことがあるので、実をいうと田舎に住むならデリケートに場所を選ばざるをえず、都市以上に制約が多い。