海外で強盗にあうより怖いもの


ニュースを見ると、
世の中を正しく理解できるのか?

少なくても部分的には、答えはNOらしい。



1週間あたりのニュースの視聴時間が長い人ほど、
世の中の危険度を高く見積もる傾向を示したという調査がある。

日々起こる事件や事故の話を聞いていれば、
悲劇がいかに身近であるかを思い知らされるのだろう。

そして、情報が身の周りであふれることで、
ますます凶悪犯罪が増加しているような印象を受けやすくなった。



ただし、毎日の個別の事件を見たところで、
全体像は見えてこない。

犯罪は本当に増えているのか?

凶悪事件は?

この疑問を解消するには、
毎日ニュースを見るより統計を見る方が価値がある。

たとえば、これ。

http://www.npa.go.jp/hakusyo/h12/h120101.pdf



社会心理学者のキャス・サンスティーンが
「蓋然性の無視」と表現したように、
実際に起きる確率を無視した判断を
人間は無意識に行ってしまう。

人が感情を揺さぶられるのは、
数字よりも個別の出来事。

だからこそ、上記の統計資料はいまいち頭に入らず、
一方でパチンコ屋の駐車場に放置された子供が
車中で死亡したニュースが頭に残るのも無理はない。

飲酒運転で落ち度のない歩行者の命を奪った事件が、
怒りとともに脳裏に刻まれるのも自然な話。

ただし、それぞれのニュースでは
発生頻度、言い換えれば遭遇する確率は分からない。



通り魔事件が起これば、世の中は騒然とする。

治安の悪化を嘆く声も出るだろう。

ただし、通り魔の発生頻度を考えてみれば、
我々の生活とはほぼ無関係であることが分かる。

たとえ昨日どこかで通り魔事件が起こったとしても。


そもそも殺人事件の大半は
家族や近い関係にある人が加害者のため、
見知らぬ人からの危害より先に気をつけることがある。

http://www.moj.go.jp/content/000112398.pdf




ニュースでは犯罪にからみ
ゲーム脳が取り沙汰されることがあるが、
認知をゆがめて世の中を正確に理解できなくなるという意味で、
むしろニュース脳の方が問題ではないかと思う。

もちろんすべてのニュースが
個別の事件や事故の些末な情報を流すだけではないが、
そういったニュースが主流であるという事実はある。

ニュースを見ていれば何となく賢くなる、
という前時代的な風潮は捨てた方がいいのではないか。




人間の判断が理性よりも感情に左右されるというのは、
日本に限ったことではない。

これは人類共通の性質。


たとえば、2015年9月、
シリア難民問題でヨーロッパが揺れていた時の話。

シリア紛争が始まって4年がたち、
国外に400万人以上が逃れた。

彼らの多くは周辺国であるトルコやレバノン、
ヨルダン、イラク、エジプト等にとどまっていたが、
一部の人はヨーロッパを目指した。

そこで無事にたどりついたのは当時34万人程度。


シリア以外からの移住者も含めると、
9月半ばの段階で43万人を越える移民が
ヨーロッパに殺到したと試算されている。

前年のヨーロッパへの移民総数の22万人弱から、
急増している。



密航船の転覆事故等によって、
死亡者と行方不明者の合計数は
2015年9月までで2,500人ほどとされていた。

紛争を避けてシリアを出た後、
2,500人もの人が目的地にたどり着く前に
命を落としていたことになる。

しかし、世論を動かしたのは
2,500人の死者・行方不明者という
(統計上の)事実ではなく、
1枚の写真だった。


海岸に流れ着いた3歳の子供の遺体を
警察官が抱きかかえる写真を、
「Europe could not save him」
(ヨーロッパは彼を救えなかった)
という見出しでMETRO誌が紹介した。

この写真が反響を呼び、
イギリスでは難民支援策への要望が強まった。

3歳の子供の未来が奪われた事実は
人の感情を動かすのに十分だったのだろう。

ある部分では、2,500人という人数の発表以上に。


キャメロン首相は移民に対する方針を転換して、
受け入れ枠を広げることを表明し、
ドイツ・フランスも同様の処置を取った。



さすがに一国のトップが
統計を無視して感情に流されたわけではないだろうから、
世論を意識してポピュリズムに走ったのだろうが、
正しい判断であるかどうかはあやしい。

それまでと状況が変わったわけでもなければ、
新事実が発覚したわけでもない。

これまでも子供を含めた死者は
再三にわたって発生していたし、
その事実が隠されていたわけでもない。


ただ、感情に訴えかける事例が発表されただけ。

もしイギリスやドイツ、フランスの
方針転換が正しかったのなら、
それ以前は間違っていたことになる。






残念なことに、人間の認知はちょっとしたきっかけでゆがむ。

私にとって関係の深い問題として、
特定の国での事故や事件の話がある。


たとえば、航空会社が事故を起こした時。

空の危険を敏感に感じ取るべきなのか?

飛行機の利用は控えた方がいいのか?

感情的には多少なりともYesの部分もあるが、
冷静に理性で考えればNoだろう。

たとえ1つの事故で数百人の犠牲者を出したとしても、
飛行機の事故の確率の低さがくつがえされるわけではない。

タクシーに乗っている方が、
飛行機に乗っているよりも事故の遭遇率ははるかに高い。





オタワにいた時には、
モントリオールへの出発の日に議事堂で銃撃戦があり、
そこから1キロほどしか離れていない場所にいた。

これは恐怖のように感じるが、
考えてみると議事堂の周囲1キロと言うと
相当な人数がいたことになる。

その人数が500人や1,000人程度でないことは
想像に難くない。


被害者の中で死亡したのは警備中の警護官1名で、
一般人は巻き込まれていない。

たとえ警護官と一般人の区別をつけなかったとしても、
事件当時、周囲1キロ圏内にいた人数を踏まえて
死亡者になっていた確率を考えると
数千分の(もしかすると数万分の)1ということになる。

事件の経緯を見ると
警備担当者の危険が圧倒的に大きい事例だったので、
たまたま近くにいただけで巻き込まれた確率は
上記の数字よりも小さく評価するべきだろう。



感情で捉えるとヒヤッとする出来事だが
冷静に考えるとそこまで危険だったわけでもないし、
影響を受けてカナダ滞在を早めに切り上げることもなく、
そのままのペースで西海岸までたどりついた。



飛行機事故も、オタワでの銃撃事件も
「蓋然性の無視」を誘発してくる。

しかし、上記のように考えていくと、
海外で事件に巻き込まれて命を落とす心配をするよりも、
国内外を問わず交通事故にあうことでも心配した方が
的を射ていることになる。

もっと言えば、
生活習慣病を避ける努力でもしたほうが妥当。

生活習慣病は食事や運動等の予防策で
少なからずリスクを抑えることができる。

遭遇する確率も、
強盗や通り魔にあう確率よりもはるかに高い。

海外の強盗というショッキングな話よりも、
生活習慣病の予防という地味なことの方が
優先度は上ということになる。



率直に言うと

どんな仕事をするか、どこに住むか、誰と付き合うか?

本当はすべてあなた自身が決めることなのに、
現実の世界ではそれが許されない。

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