農家の雨に対する考え方が深い


今回は農家の人や予備校の講師、NPO関係者等の異業種との交流が増えてきた。

おかげで、今までとは違う視点で物事を見ることができるようになった部分も。


私は雨が嫌いで、できるだけ外に出たくないとすら思ってしまう。

実際、雨の日は傘をさして遠くのレストランに食べに行くよりも、すぐ近くで食事を済ませるようにしている。

昔からどうも雨というのは嫌いで、いくら傘をさしても靴の中は濡れるし、ズボンの裾も濡れて、部屋に戻ってからもジメジメとしてしまう。

人類が月に行くようになったというのに、傘の形というのは数百年前とちっとも変わらないし、どうしてこんなにも進化しないのかと思う。

そのため、私は以前に新宿で働いていた時、駅から一歩も出ずに地下通路を通って、会社まで行くことができるというのが、非常に気に入っていた。

正確にいうと、その会社が入っているビルの目の前で、一旦外に出なくてはならないので、20秒ほどは外を歩かなくてはいけないが、それ以外の改札からの約5分というのは、ずっと地下通路の屋根の下を歩くことができたので、雨の日でも晴れの日でも、濡れたり、日差しにさらされることなく歩くことができた。


しかしこういったことも、見方を変えると全く見えてくる世界というのは違っていて、例えば農家にとっては、適度に雨が降るというのは、まさに文字通り恵みの雨で、作物が育つ為の必須条件となる。

もちろんそれだって度が過ぎれば逆効果になって、雨天が続けば土の状態が緩くなりすぎて問題があるし、あるいは日照時間が少ないために、光合成を十分に行うことができず、作物は不作に終わることになる。

そのため、雨と晴れというのはバランスが重要で、生き物を育むことの最前線にいる農家にとっては、まさに死活問題となる。

そう考えてみると、私のようにちょっと外へ行くときに不便だから雨が降るのが嫌だとか、あるいは女性を中心にありがちなように、肌が荒れるから日差しが強いのは嫌だとか、そういった現代人の感覚とはまたちょっと違ったところで、農家の人は天気を見ていることになって、そういった色々な見方というのを出来るようになると、もっと抽象的な情報量の多い世界を垣間見ることが出来るのではないかと思う。


何年か前に、大型の台風で、ほとんどのりんごが落ちた時に、数少ない残ったりんごを奇跡のりんごとして、販売した農家があった。

こういったことというのも、ただ単に台風にへこたれなかったというだけの美談で終わらせるのではなくて、やはりさまざまな視点で物事を見ていたからこそ、見えてきたことだと思う。

結果的に付加価値をつけて販売することができたわけだし、その落ちなかったりんごというのは受験の時のお守り代わりにも使われた為、本来のりんごの価格よりも何倍も高くで売られたと聞く。

一つの事実に対していくつの解釈ができるかによって、マーケティング戦略としても人生を豊かにする上でも、大きな違いが生まれてくる。

同じ出来事を見た時に、それを悲劇と見るか、喜劇と見るか、あるいはそのどちらでもない、また別の第三の道を見い出すか、それはその人の思考のレベルに依存している。

そうであるのならば、当然ながらより高い抽象度で物事を考えて、さまざまな側面から切り取れる方がいいのは当然のこと。

そう考えると、自分とは全く違った職業や、属性の人と話をしたり、そういった人が何を考えているかを聞くというのは非常に勉強になると思っている。



大切なことを

どんな仕事をするか、どこに住むか、誰と付き合うか?

本当はすべてあなた自身が決めることなのに、
現実の世界ではそれが許されない。

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