語学留学でやってくる人も多い国に住んでいるだけに、フィリピン人の英語の訛りについて聞かれることがある。
確かに彼らはネイティブではないので、それなりにアクセント等においては独特のところがある。
私自身も英語が達者なわけではないので、細かいニュアンスはわからないものの、常識的に考えてもアメリカやイギリスの英語とそっくりそのまま同じではないことは明らか。
そのため、よりきれいな英語を話したいという人は、ネイティブの英語圏に行きたいと口にすることがある。
では、そもそもそれはいったいどこなのかと言うことを考えてみると、基本的にはイギリスやアメリカになる。
その割に、なぜかオーストラリアに行く人もいるし、オーストラリア英語はアメリカ人とまともに会話が出来ないくらいにひどくなまっているのに、そういったことには気にしないらしい。
さらにいうと、アメリカやイギリスにおいても彼らの話す言葉はだいぶ違いがある。
だからこそ、アメリカ英語とイギリス英語という区別がされているわけだし、それぞれの国の中でも地方によって当然ながら方言がある。
ボストン訛りとかカルフォルニアのアクセントとか、テキサスっぽい話し方とか、こういった違いがあるのは当然の話で、日本語を考えても北海道の人と沖縄の人では使っている言葉が違う。
そう考えてみると、どう見てもネイティブではない日本人が英語を学ぶときに、必要以上に訛りのないきれいな言葉を話す必要があるのかどうか、それを学ぶ価値があるのかというのは疑問がこびりついて離れない。
残念ながら我々が流暢な英語を話したところで、それがどれだけの評価につながるかはわからない。
欧米人から見れば所詮はアジア人なわけだし、その部分において同化できるわけでもない。
むしろ多少英語がなまっていたところで、言っている内容自体が優れていれば見る人が見れば尊敬される。
そういったことを考えても、必要以上に言葉の美しさとか、イントネーションやアクセントの正確さにこだわることはまったく無意味ではないかと思う。
いくら口がうまくても中身のない人間が尊敬されず、むしろ軽蔑の対象になることは日本人同士の関係を考えてみれば分かること。
完璧な日本語を話す外国人がやってくれば、短期的には好意を寄せられることもあるかもしれないが、中身が薄っぺらければ、所詮それまでと切り捨てられるのも当たり前。
そういった意味でいっても、私にとってフィリピン人の英語が訛っているとか、そういったことは正直どうでもいい。
むしろ語学留学をすること自体が時間の無駄だと思っているし、そんなことをするくらいであれば何かしらの特別な能力、例えばマーケティングの能力とか、広告戦略の立案とか、そういったことが出来るようになったほうがはるかに価値がある。
企業や社会から求められる人材になるわけだし、そういったことが何も出来ずにただ単に2ヶ国語が話せるバイリンガルと言うだけでは、はっきり言って何の価値もない。
バイリンガルなんて世界的に見ればうじゃうじゃいるわけで、日本人としては若干珍しいとはいえ、それ自体が大きな価値を持つものではない。
残念ながらそういったところをきちんと理解していない日本人は少なくないのではないかと思う。
もはや二十一世紀になって久しいし、語学力だけの勝負で勝てるという幻想はいい加減捨てた方がいいだろう。