2月。
埼玉にしては珍しく雪が軽く積もっていた。
これで足りているのか?
他に持っていくものはないのか?
そんな疑問を持ちながらも、
そもそも海外移住に必要な荷物なんて
自分でもよく分からない。
仕事は世界のどこにいてもできる。
そうは言っても、
初めての海外生活が近づくにつれ、
不安がなかったわけじゃない。
ひとかけらの不安と大きな期待を胸に、
羽田空港に向かった。
深夜12時を回ろうというタイミングで、
飛行機は出発した。
未知の地、マレーシアに向けて。
クアラルンプールに到着したのは朝。
それから1日観光した後、
移住先のジョホールバルに夜行列車で移動する。
今回は夜の移動ばかりになってしまった。
実は、私は移住前の下見をしていない。
行けば分かるだろうと思っていたし、
最悪の場合には帰ってくればいい。
ということで、マレーシアはもちろん、
東南アジアも初めてだった。
真冬の日本から、赤道から近いクアラルンプールへ。
着てきたダウンジャケットはカバンに詰め、
初めての東南アジアをTシャツごしに肌で感じた。
歩行者とぶつかる寸前までスピードをゆるめない車、
そこを迷わず渡る現地の人を見て、
クアラルンプールの交通事情に驚いた。
なぜ事故にならないのか不安だ。
ペナンラスクというマレーシアの麺料理を食べたり、
モスクを見たり、
大型ショッピングモールを見たりしているうちに、
あっという間に1日が終わった。
クアラルンプールの想像以上の発展ぶり、
そして熱気に気圧されながらも、
この国に住むことにワクワクしている自分がいた。
いつの間にか、出発前の不安は消えている。
夜行列車に乗る前には、
同じ方向のマラッカへ行く70歳ぐらいの老紳士と
しばし話をして列車を待った。
和やかに進んだ会話だったが、
8割以上何を言ってるのか分からなかった(笑)
再び日付が変わる直前に電車は動き出し、
翌朝6時過ぎにジョホールバルに到着した。
こちらでは電車が止まる時にアナウンスはない。
自分で駅の表示を確認しなくてはならないが、
この表示も分かりづらい。
そして、どうも予定時刻になっても
ジョホールバルの駅に着かない。
ひょっとして、予定より早く到着し、
その先のシンガポールに行ってしまうのでは?
寝過ごしたか?
そんな不安を感じていたが、
単純に遅れていただけだった。
駅を降り、これから住む街と初めての対面。
思ったよりも駅は立派だ。
日本の新幹線の駅と比べても負けていない。
荷物を置くため、
予約していたホテルに向かう。
そこで移住早々、衝撃の事実が。
ホテルの予約の日付けが間違っている・・・
なぜか飛行機の出発日で予約している。
交渉したが、当然日付変更は不可。
しかも満室というので、
他のホテルに飛び込みで部屋を取った。
到着直後にトラブルに遭遇しつつも、
(自分で引き起こしただけだが)
事前に連絡を取っていた不動産業者と
その日の午前中に合流し、
2時間ほどコンドミニアムを見て回った。
どのコンドミニアムにもプールがあるし、
建物もキレイで豪華。
東京なら家賃が4、5倍はするだろう。
プールや家具・家電付きであることを考えると、
それ以上かもしれない。
その内の1つのコンドミニアムに決め、
昼には契約を行い、
5日後に入居することになった。
それまではしばしホテル暮らし。
移住に際して行ったことは、実は少ない。
日本では、市役所で住民票を抜き、
住民税の手続きを済ませ、
健康保険証を返す。
また、私は個人事業主としての税務申告をしていたので、
税務署で個人事業主としての廃業届や
青色申告の終了の届けを出した。
市役所は1時間ちょっと、
税務署は30分ほどで終わった。
マレーシアでは、部屋を探しただけ。
別に届けも要らない。
こうしてあっけなく海外生活は始まった。
事前の不安とは裏腹に、
拍子抜けするほどにあっさりとしたスタートだった。
海外に移住するのは本当に難しいのか?
日本を出て海外に住むようになってから
「海外に移住したい」という話をよく聞くようになった。
同時に、
「英語が苦手で・・・」
「海外での部屋選びで失敗しないか不安」
「他の国での生活を想像できない」
「下見で何を確認したらいいか分からない」
「移住後の仕事やお金が問題」
等々の様々な不安や悩みも耳にする。
そこで、10年以上海外で暮らし、
4ヵ国に住んできた経験を凝縮した電子書籍、
『「いつか海外に住みたい」を手の届く現実にするための本』
を無料でプレゼントすることにした。
電子書籍の目次等も掲載しているので、
プレゼントページへどうぞ。
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