年末年始になると、多くの人が1年の目標を立てる。
しかしながら、それを達成する人は少なく、まして月ごとの目標や日々の行動計画にまで落とし込む人になると、おそらく5%もいないのではないかと思う。
そして、お決まりのパターンとして2月、3月になると年初の目標は忘れ、年末になって「今年もいつもと同じように目標を未達成のまま終わった」という定形の感想だけが残る。
こういったパターンを繰り返すことによって、自己重要感や自分自身への信頼、エフィカシー、目標達成に対する自信が失われていく。
こうなってくると、無力感に包まれるようになってくるので、本当に何かを得たいと思った場合や、生活を変えたいと考えた時にまで悪い影響を及ぼす。
結局のところ、エフィカシーが低い人は何かをやり遂げられる自信がないので、その段階でモチベーションが揺らいでしまう。
一時的にその気にはなれても、やる気を継続させていくためにはゴールまで今の行動が繋がっているという自信が必要。
今頑張ったところで、結局は何の意味もないかもしれないという迷いが強ければ強いだけ、常にモチベーションの欠乏と戦うことになってしまう。
そういった意味で、自己重要感やエフィカシーは重要な要素であって、毎年未達成の目標を立てるのは、自分の未来を暗いところに閉ざしてしまうことに他ならない。
形だけの目標を立てるぐらいなら
どうせすぐに忘れてしまうぐらいの目標であれば、最初から立てないで、年末年始に映画でも観ているとか、テレビでお笑い番組でも眺めている方がよほど有益。怠惰な過ごし方に思えるかもしれないが、余計なことをしてマイナスの結果を出すよりは、±0の方がはるかに価値がある。
結局のところ、できる人の習慣を真似たところで、総合的に見た時の一貫性がなければ何の価値もない。
月収25万で一生サラリーマンを続けようと思っている人が、孫正義やビルゲイツのように一代で大企業を創り上げた人物を真似しようという発想に、そもそも無理がある。
彼らとは人生のモデルもビジネスモデルも違うわけで、根本的に目標とする相手が違う。
例えば、狸の生き残りの戦略と、虎が生きていくための戦略は、当然ながら違う。
生き物としての種が違えば、同じ局面に直面したとしても、その時に取るべき行動は全く別のものになる。
虎が狐に遭遇すれば、獲物を見つけたことになるので、捕食のために追いかけ、爪や牙で襲撃するというのが通常。
狸であれば真っ先に身を隠すとか、逃げるとか、そういったことを選択肢として思い浮かべることになる。
当然ながら、世間で成功者と呼ばれている人と、一般的なサラリーマンの間には全く違う戦略が根底に流れているわけなので、彼らを真似して意識の高い人になった錯覚に陥ったところで、結果として受けているのは負の影響だけということも往々にしてある。
そういったことを考えれば、年末年始の目標は、達成できるものにするか、もしくはそもそも立てない方がいいということになる。