優等生から社会不適合者に

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おとなしい性格と事なかれ主義の結果として、
子供の頃は優等生とみなされることが多かった。

たしかに問題行動をするわけでもなく、
学校側から見れば扱いやすい生徒だっただろう。

そんなわけで、
小中学校時代は学級委員をやっていたこともあるし、
優等生タイプの生徒だった。

中学時代は途中まで真剣に勉強してみたこともある。

中2の秋という何とも中途半端な所で挫折したのだが・・・。

そんなわけで、
親や担任の高まる期待をスルーして2流の公立高校に進学した。

高校では1人も友人がいなかった。
いじめられていたとか、
無視されていたわけではない。

話しかけられることもあったし、
そうした時には普通に受け答えもしていた。
が、友人はいなかった。

私は休み時間になるたびに、
屋上の前にある踊り場で時間をつぶしていた。

そこなら誰も来ない。

高校という人間関係の密度が極度に高い場所において、
唯一安らげる場所だった。

教室の中では1人でいること自体が異常なことで、
針のむしろのようだった。

高校時代、基本的に行事の日は個人的に休日にしていた。

文化祭も体育祭も修学旅行も1通り休んでいたのだが、
出席日数の関係で体育祭に出たことがある。

悪夢だった。

自分が出ない競技が行われている間、
競技が行われているグラウンド周辺に集まる生徒の輪を尻目に、
1人で座っている。

広い場所に1人でいるのだから、当然目立つ。

1日中地べたに座り、腰は痛むし胸は痛むし、
やはりサボるべきだったと判断の甘さを悔やんだ。

体育祭は高校の外のグラウンドで行われたので、
終了後には着替えに高校に戻るのだが、
友人のいない私は誰も戻ってきていない無音の校舎で着替え、
どうやらまだ誰もやって来ていないうちに後者を後にした。

別に急いでいたわけでもなく、私
としては普通に帰っただけなのだが・・・。

体育祭の日のみに限らず、
高校時代は日頃から帰宅部のエースといっても過言ではない活躍を
見せつけていた。

誰に見せつける気なのかはまったく検討がつかない。

授業が終わってすぐに帰るのはもちろん、
卒業式の日も式が終わり、
教室で卒業証書の配布等が済んだ瞬間にそそくさと帰った。

下駄箱に設置された上履きを捨てる用の袋が空だったので、
卒業式でも他を寄せ付けない強さを示したことになる。

帰宅部としては全国大会レベルだっただろう。

高校時代は、
優等生から周囲に馴染めない社会不適合者に
華麗な転身を遂げた時期だった。




プロフィール第2話:淡いというより薄い大学生活


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