セブでの年末年始と正月の様子


10月頃から始まったセブのクリスマスの飾りつけは、年が明けた今も、ほとんどそのまま残っている。

これはコンドミニアムのロビーに飾られてるクリスマスツリーもそうだし、セブのアヤラセンターのレストランを見ても、ツリーや輪っかのオーナメントがそのまま残っているところが大半。

日本人が思う正月というよりは、むしろクリスマスがそのまま残っているような印象がある。

では、セブでの年末年始がどういう様子だったかというと、とにかく特徴的だったのは、大晦日の12月31日。

爆音の音楽が聞こえてきたので、コンドミニアムのどこかの部屋、あるいは共有スペースのプールサイドでパーティーでもしているのかと思っていたが、夕食をとりに近くのレストランに移動したら、その音の音源がどうやらコンドミニアムの中ではなく、外であることがわかった。

しかも、ビジネスパークと呼ばれるこのエリアから少し離れた、戸建の立ち並ぶ集落からその音がしているであろうことがうかがえ、どうやら少なくてもコンドミニアムから50メートル以上離れた所から、大音量の音楽が聞こえていた模様。

これはどの位の音量かというと、窓を閉めても全く遮断されることがない位のレベルで、自宅でテレビを観るのと同じくらいの音量が残る。

しかも、途中からはその音源が増え、別方向からも他の音楽が流れてくるようになった。

どうやら三方向からそれぞれ別の音楽が聞こえているらしい。

セブの場合、元々普段のパーティー等でも、大音量で音楽を鳴らすことが許容されている文化がある。

まして、大晦日であれば、クレームを入れるような人もいないのだと思われる。

こういった傾向は、フィリピン人だけではなくて、タイ人やインドネシア人といった新興国には全般的に見られること。

元々、日本や先進国のように個人の権利や人権という意識が薄弱で、他人に迷惑をかけようがどうしようが関係ないという感覚が根底に流れている。

ましてフィリピンの場合、下手に文句をつけようものなら銃で撃たれる可能性もあり、下手なことができないという現実もある。

しかも、どうやら音源の1つは、あまり豊かではない人たちが住むエリアのようで、そんなところにのこのこと入って行ったら、何をされるかわかったものではない。

東南アジアに来ると、富裕層と貧困層の差は日本よりも遥かに歴然としているし、一部の街では、高級コンドミニアムとバラックの様なスラム街が隣り合っていることもある。

こうなってくると、博愛主義とか、人類は平等とか、そういった建前のきれい事を言える状況ではなくなり、現実問題として、我が身を守るために関わり合いになるのを避けるとか、防犯策を考えなくてはいけない。

それは、圧倒的なリアリティーに基づいたものであって、安全なところから人類は皆平等と叫ぶ人の声よりも遥かに重みがある。

そうしたこともあったので、大晦日については安眠を妨げられるのはもはや仕方がないと、半ば諦めていた。

さらに問題だったのは、午前0時を過ぎる頃に花火が打ち上げられることで、私のコンドミニアムはカーテンではなくブラインドになっていて、このブラインドがかなり薄めなので花火の光によって目が覚めてしまう。

こういったこともあって、寝不足で元日を迎えることとなった。


セブの正月の様子

断続的に目が覚めていたが、午前3時とか午前6時になっても大音量の音楽が鳴り止むことはなく、爆音が鳴り止んだのは、1月1日の午前10時頃だった。

それ以降は何事もなかったようにひっそりと静まり返り、それ以降、正月らしいパーティーや店の催しは一切なかった。

ちなみに、セブのアヤラセンターは、12月25日のクリスマスは全館休館だったものの、1月1日は昼の12時からオープンということで、普段よりは遅れるものの、それ以上の問題は特に起きていなかった。

スーパーやレストランもモールが開店する頃になって、ようやくもたもたとオープン作業をしているという状況ではあったが、これがフィリピン人気質のためなのか、モール内の立ち入り制限等によるものなのかよくわからない。

何にしても、特別正月感というものはなく、やはりフィリピンにおいてはクリスマスの方が重要で、大晦日や正月はおまけでしかないことを改めて感じた。

ちなみにマニラいる時には、正月に和食レストランに行ってお雑煮を食べてきたが、今回はそのタイミングで和食レストランに行くことがなかったので、餅を食べる機会には恵まれなかった。

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