3月のライオンという漫画には、中学生で将棋のプロ棋士になった主人公、桐山零を中心に、将棋の話が度々出てくる。
最年少で名人になった宗谷名人や、その同期であり、努力家かつ多くの棋士から慕われている島田さんや、体の弱さをもろともせずに突き進んできた二階堂君等、とても魅力的なキャラクターが出てくるが、その世界の奥の深さを知れば知るほど、将棋を簡単に始めることができなくなってしまう。
私も子供の頃に将棋の駒の動かし方ぐらいは覚えたので、最低限の対局はできる。
しかし、本格的に将棋が強くなりたければ、様々な戦局を覚えたり、先読みのために頭をフル回転させたり、記憶力勝負で盤面を覚えたりする必要がある。
そして、何よりもより多くの時間を割いた方が強くなれるのは、自明の理。
逆に言うと、才能だけでどうにかしようとか、そういったことを考えれば、自ずと限界がある。
私の場合、海外を転々としているので、実際に人と面と向かって指すことは難しいが、現在であればネットで対局をすることも可能なので、将棋に親しむ素地は整っている。
将棋の関連本に関しても、Amazonや楽天で購入をして、自炊をした状態で手元に取り寄せることは可能なので、情報を得ること自体は難しくはない。
「聖の青春」に描かれていたような、専門書の入手が困難な時代ではなくなった。
しかしながら、奨励会でもいわゆる神童と呼ばれた子供たちが鎬を削って学び、日々勝負をして、ごくごく一部だけがプロ棋士になれるという、本当に一握りの天才だけが抽出されるのが将棋の世界。
趣味で中途半端にやって、そして1/2の確率で負ける世界というのは、簡単に首を突っ込んでいいものなのかどうか、かなり疑問が残る。
負ければ心は千路に乱れるだろうし、平気でいられるはずもない。
それは、多くの努力をすればするだけ、より重くのしかかってくるものだし、そういった意味で考えると、人生を丸々投げ打ってでも、十分に追及していけるだけの奥の深さがある。
とてもではないが気楽な趣味としてやっていける感じはしないし、性格的にも将棋にはまったら、そこでいかに勝つかを考えて戦略を立て、そしてそれに必要な勉強を始めてしまいそうで、結果として仕事がおろそかになるとか、生活の将棋以外の部分に悪影響を及ぼしそうなので、できることならもう少しライトは趣味を始めたいと逃げを打ってしまう。
確かに、3月のライオンの世界観に憧れるところはあるものの、だからこそかえって手を出しづらいということもある。
もっと単純に頭の体操として割り切るとか、老後の趣味としてやっていくという手もあるのかもしれないが、結局のところ私の場合、仕事も特に定年があるわけでもない。
個人事業主なのでいくらでも仕事ができるわけだし、そこで頭を使うことになるので、あえて脳を活性化させる為に脳トレをするとか、そのためだけに将棋に手を出すのは、どうなのかという気持ちがなかなか拭い去れず、いまだに手を出せずにいる。