中国やインドの社会を見ていて、疑問に思うことがある。
なぜこれらの国は、長い歴史があり、貴重な文化や技術の継承がされているにも関わらず、世界的に敬意を払われず、町の中も汚いし、人々のマナーも成熟していないのはどういったことなのだろうということ。
例えばインドであれば、アーユルヴェーダやヨガの発祥の地であり、数学上も0の発見をはじめとして重要な位置を築いている国。
にも関わらず、まだまだ一般の国民の大部分は貧しく、BRICSに名を連ねたり、世界的にも新興国として影響を強めてはいるものの、町中の汚さは全く改善されていない。
ガンジス川の衛生的な問題はずっと指摘されていることだし、沐浴をすることによって精神的なエネルギーの面ではともかく、物質的な面では危険な状態になっている。
私の友人が10年ほど前に初めてインドを訪れた時には、高級ホテルの周りであっても、髪を洗わないために半ば髪の毛が石化してしまっている人がいることに驚いたという。
今現在であってもインドのタクシーのぼったくりの状態がひどく、昔CMか何かにあった、「インド人嘘つかない」というフレーズが大嘘だったということが旅行者の間では通説となっている。
もはやインドは、かなりコアなバックパッカーであればともかく、一般の旅行者には見向きもされない国になっている。
では、中国は?
一方中国と言えば、こちらも中医学を初めとして、四柱推命や様々な統計、あるいは孫子の兵法や孟子等の偉人も輩出している。しかしながら、中国人のマナーの悪さも世界的に有名なところで、いまだに集団で大声を出しながら騒いでいるとか、町中にツバを吐きまくるとか、北京オリンピックを境にそういったところに対しても、啓蒙活動をしたとは言ってるが、それによって全国的に劇的な改善がされたとは到底言えない。
中国やインドのそれぞれの道のプロの中には、世界的に一流の人もいる。
これは当然の話で、単純に人口が多いわけなので、どの国も人口のうちの1%が仕事ができるとしても、その絶対数が多いということは、それだけ有利になる。
しかし、そういった叡智が末端の人々にまで伝わっているかと言えば、全くそんなことはなく、恩恵に預かっていない。
日本の将来への懸念
日本も二極化していく過程で、中間層がなくなっていくと、同じような道をたどっていく可能性がある。インドや中国が貧困層の削減に勤め、経済成長によって中間階級がだんだん育ってきているのに対し、日本は逆に中間層が空洞化し、二極化という名の元、ほとんどの人が下層に押しやられることになる。
こういった国でいくら経済的に豊かになり、所得を増やすことができて勝ち組と言われるような上位層に入れたとしても、治安の悪さや人々のマナーに辟易としたり、文化的な退廃に目を覆いたくなり、結局海外に移住する選択肢を視野に入れる人が増えていく可能性もある。
そういった意味で言うと、日本の状況は個人の努力だけでどうにかなるものではなく、二極化の波は、結局全国民に不利益を与えることになりかねない。