観光目的でチェンライを訪れるのであれば、寺院やクロックタワー、メンラーイ王像、黒い家、ホワイトテンプルなどを駆け足で回って一日もあれば十分に観光を済ませることができる。
ではもう少し長くこの街にいる場合に感じる良いところはどこなのかと考えてみると、一つには身近に立派なお寺が多いこと。
特に市内の中心部に近いエリアでは、ワット・プラケオ、ワットプラシンなどの有名寺院の他にも、ワットフゥアイプラーカン、ワットプラタートドイトゥン、ワット ミン ムアンなどがあり、少し道を歩けば荘厳な寺院がすぐに見つかる。
しかも建物や塔が大きいので、多少離れたところからも見えたりして、道の目印にもなっているし、向こうにワット・プラケオがあるといった標識も出ていたりして、旅行者や外国人にも優しい。
もちろんこの歩道の標識はタイ語表記だけではなく、英語でも表記されているので、タイ語が読めなくても安心。
ホワイトテンプルや黒い家に関しては郊外になってしまうので、あえてタクシーを捕まえて出向かなければ目にすることはできず、日常の中に溶け込んでいるとは言いがたいが、ワットプラシン等に関してはチェンライの市内に住む人にとって本当に身近なところにある。
そのため、観光目的で訪れるというよりも、日常生活の中で参拝するタイ人の姿を数多く見かけた。
祈りが日常の近くにあるのは素敵な環境で、自分の魂のよりどころを持っていると、余計な不安から解放される。
これは別に宗教的な話というよりも、何かしらの信念とか、軸になる価値観がないと人はふらふらしがちなので、変にお金を大きく稼ごうとしたり、彼女や彼氏に多くを求めてみたり、子どもに才能以上のハイスペックな能力を要求したりといったひずみが生じやすい。
タイ人の穏やかさの要因の一つは、こういった寺院や、仏壇というかほこらのようなものが街中にあることも関係しているのかもしれない。
実際、飲食店やホテル等でも仏壇のようなものが置かれていることが一般的で、それは自由に店の中をアレンジできたり、自宅との境界線があいまいな個人の店だけではなく、ショッピングモールに入っている店であっても、レジの後ろの目立つ位置に仏壇のようなものが飾られていたりする。
ことさらに仏教を信仰していないとしても、こういった祈りの場がすぐ近くにあるのは心の平穏を保つうえでもプラスに働くし、それがチェンライの良いところではないかと思う。
もちろんバンコク等の他のタイの街でも人々の信心深さや敬虔さを感じる場面は多々あるのだが、バンコクの場合、中心部においては立派な寺院がそこら中にあるというわけではない。
もちろんワット・プラケオやワット・アルンに足を延ばすことはできるが、例えばスクンビットやプロンポン、トンローなどの日本人に人気のあるエリアに関しては、ほとんど寺院はみかけない。
チェンマイに関しても四角く水路で囲まれた中心部とその周辺には立派な寺院が多数あるものの、そこから少し離れて排気ガスから逃れようと思うと、寺院とは無縁になってくる。
そう考えていくと、街の中心部に寺院がたくさんあるのは、チェンライの良いところと言えるだろう。