2014年の始まりは、お雑煮を食べるところから始まった。
元日に餅を食べるのはとても日本的だが、別に日本に帰国していたわけではない。
フィリピンのマニラに住みながら、和食レストランで雑煮を出している店がいくつか散見され、そこの一つである樹海という店に入っただけ。
マニラの場合、リトル東京に行けば、普段から雑煮や焼いた餅を出している店もある。
正月の期間に関して言うと、それ以外の店でも、特別メニューとして雑煮を出していたりもするので、食べるには事欠かない。
さすがにおせちは見かけなかったが、餅関係であれば輸送も簡単だし、料理も決して難しくはないので、かなり広く取り入れられている印象だった。
そして、3月にはフィリピンのコンドミニアムを引き払い、世界一周を始めた。
そのまま、特にコンドミニアム等を借りることなく、ホテルを転々とする暮らしが続いているが、フィリピンに不動産投資を行ったりとか、あるいは永住権であるクオータービザを取得したり。
どうやらフィリピンとの関係もかなり深い1年だった。
その一方では、東欧に新しい可能性を見い出したり、ハンガリーやラトビア、あるいはポルトガル等のビザについて色々と確認した1年でもあった。
オタワでは議事堂での銃撃事件の際にすぐ近くにいて、ニアミスを起こしたりとか、そういったところでは、ヒヤッとしたところがある1年でもあった。
こういった個人的な事情がある一方で、社会的なことに目を向けてみると、日銀の金融の緩和であるとか、誰が得をするのかわからないアベノミクスの推進とか、そして何よりも円安が継続したことによって、海外に住んでいると、とても物価が上がったような感覚を受けるようになった。
もともと資金の大部分は海外に出してあるが、それでも円換算した場合に、割高な買い物をしているという感覚はぬぐえない。
さらに世界に目を向けてみると、アメリカの経済は相変わらず力強く成長している一方で、オバマ政権は選挙に敗北したり、あるいはロシアやウクライナで緊迫状態が続いていたり、マレーシア航空やエアアジアといったマレーシア関連の航空会社で飛行機事故が相次いだりとか、こういったことも目に付く。
当然ながら、ウクライナで緊迫状態が続いているということは、その辺りの国に行く時には要注意となる。
ポーランドであれば国境を接しているわけだし、ウクライナは先日も行ってみようかと思った国ではあったが、わざわざこのような時期にあえて行く必要がないわけだし、見送ることにした。
年が明けてからも、しばらくの間はまだ情勢に見極めが必要だと思うので、わざわざジャーナリストのように危険なところに飛び込んでいく必要もない。
ある程度治安が回復して、安定したら行ってみようかと思っている。
世界的に見ると、30年周期や60年周期といった様々な周期の終わりに差し掛かっているという説であったりとか、コンドラチェフの波の話とか、さらに言えば、資本主義経済の限界が見えてきたという話もある。
確かにこれだけ大量に紙幣が刷られてしまい、実質的なお金の価値が暴落してしまうと、金融というもの自体がとても曖昧で、ファジーなものに感じられてしまう。
そして2015年は、経済というよりも、国際的な流れにおいて、かなり問題が頻発する予感があるので、何にしても危険に巻き込まれないような移動をしていきたい。