人口密度と地域の発展度の関係について



私のある友人は、シンガポールや香港を見て、人口密度が高い国ほど発展する傾向にあることを指摘した。

逆に言うと、マレーシアのように人がまばらにしか住んでいなく、活かされていない土地が多い場所は急速な発展を望めないのではないかという疑問を呈していた。

これは文化人類学の見地から見てもあながち間違った話ではなく、基本的に人口密度が高い地域ほど、中央集権的な組織ができやすい。

そして、中央集権的な組織ができるということは、統治機構がしっかりしているということで、分業の考え方が適用される。

例えば数人しかいない村であれば、全員が狩猟と採集に出かけるとか、もしくは農耕を行うとか、そういった食料の生産活動に従事することが一般的であるのに対して、組織が出来ていくと、役人とか宗教者とか、あるいは道具を作る鍛冶職人とか、様々なポジションができることにより、その地域の中で多様性が生まれていく。

そして、その中で文化が発展したり、あるいは文字が開発されるとか、農業が発展していくとか、石器や鉄器などの技術が進化していく傾向にある。

したがって、パプアニューギニアで同じ祖先から枝分かれした人々であっても、人口が密集しているエリアにおいてはどんどん文化が発展していき、やがて他の人口密度の低い地域に住んでいた人を駆逐して、そのエリアにも住み着くようになったという歴史もある。

つまり、人間が少ないということは、それだけ急速な発展を遂げることの妨げになりかねないということ。

まだ小さな組織にとどまるうちは、基本的に首長がいたとしても大きな権力を持たない傾向にあり、その意味で言うと、全員が平等に扱われる。

つまりトップであっても一般の村民と同じく、農業や狩猟等の作業もするし、周りの人間も基本的に首長に対して大きな敬意を示すことは文化的に少ない。

それに対して、ある程度大きな規模の組織になってくると、首長が大きな権限を持って、他の村民たちは彼に平服することを余儀なくされたり、財産面でどんどん格差が出来てくる。

しかしながら、そういった集落の方が明らかに発展のスピードは早いのが確認されていて、世の中で力を振るってきた種族やエリアは、基本的に人口密度が高いことが多いことが知られている。

人種間の差がないパプアニューギニアの島々が、結果的に社会実験としてこういった事実を証明してくれている。

こうして見てみると、現代でもロンドンやニューヨークのような大都会に仕事ができる人や、大きな夢を持つ人、モチベーションの高い人が集まってきて、切磋琢磨しながら自分の技術を磨いたり、あるいは仕事を遂行したりするのは、ある意味理にかなっている。

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