鋼の錬金術師の世界観では、等価交換の原則というものがある。
これは錬金術によって生成するものは、その代償として同等のものを必要とするという法則。
これと似たようなことは、現実世界でも語られることが多い。
例えば、経済的に成功した人は、家庭生活とか健康とか、どこかで犠牲になっているものがあったり、あるいはどこかのタイミングで破たんしたりすると言われることがある。
こういった話題は、日本に限らず古今東西で語られているし、マーフィーの法則のようなものもある。
しかしながら、実際にそうなのかというと、その法則には当てはまらないことも多々見受けられるのは事実。
例えば仕事に手を抜いて、ダラダラと生きていて、なおかつ家庭も崩壊し、健康も害して、人間関係もボロボロという人は、現実に存在する。
私がかつて勤めていた会社においても、部署内の誰からも軽んじられていて、仕事への情熱は全く見られず、さらにどうやら体も病気がちな上に、家族関係も思わしくない人がいた。
しかもその人は、途中で実質的な解雇をされることになり、何年も務めた会社にもかかわらず、まともな挨拶もないまま去っていくことになった。
というのもある日の朝、出勤してきてそのままミーティングルームに連れていかれ、上司から退職勧告をされたらしく、私達の部署は通販関係の仕事をしていたので、彼が出てきた時には顧客からの電話対応をしていて、それを止めるわけにはいかない状況だった。
そんな中で、彼は形だけの挨拶を済ませ、ほとんど誰も聞いていない状況の中で会社を去ることになった。
これはアルバイトの話でもないし、新入社員が入社後早々に退職をしたという話でもない。
彼は平均勤続年数の短かった定着率の低いその会社の中では、どちらかというと古株にあたる人物だった。
この人を見ていても、等価交換の原則があるのであれば、どこかでもっとプラスの部分が顕現してもいいはず。
しかしながら、そういった兆候は見受けられなかった。
破綻をともなわない成功の例も
逆に言うと、仕事がうまくいっている人であっても、大きな犠牲をはらっていないことは少なくない。確かに、いくつも会社を持っている人で、何度も離婚歴がある人とか、健康を害している人もいるものの、ある程度偶然の要素があるということは否めない。
少なくともどこかの分野で突出する才能や実績を持たない人が、自分を慰めるための言い訳にすぎないのではないかという風に感じる。
結局のところ、現実世界での等価交換の法則とは、幻想ではないかというのが私の持論。