英語力よりも人間力のほうが海外で暮らしていく上で大事


外国で生活をしていくと聞くと、英語力や語学力を気にする人が多い。

それはそれで感情としてはわかるものの、実際問題として本当に重要なのはむしろ人間力。

例えば言葉が通じなくても、身振り手振りで相手に意思が伝わったり、あるいは表情によって感情を上手に伝えられる人がいる。

反対に、言葉をしっかりと話すことができても誤解を生みやすい人もいる。

同じように日本で暮らしていて日本人同士であっても、なかなか相手に感情が思うように伝わらない人もいれば、片言の日本語しか話せない外国人が日本で人気者になっていることもある。

それと同じことが日本人が外国に行った時にも言えるわけで、私のイメージでは千原兄弟のお兄さんの千原せいじ、彼は非常に人間力が高いと思う。

あのがさつな性格で傍にいられたら嫌かもしれないものの、生命力は文句なしにたくましく、どんどん海外に出て現地の人と交流していることがロケ番組を見ていても伺える。

フィリピンを紹介する番組もやっていたが、物怖じすることなく色々な所に入っていき、全国ネットの番組であるにも関わらず現地の飲み物をまずいとはっきり言い捨ててみたり、そういった遠慮も妥協することも無い生き方は、世界のどこに行っても実は好かれるのが実際のところ。

もちろん日本の報道の枠の中では批判が起こることもあるだろうし、誤解を受けることも多いとは思うものの、実際に海外で生きていくことを考えた時には、こうした人間力が高い人のほうがはるかに成功しやすい。

所詮言葉がわかったところで文化や風習は違うわけだし、向こうからしてみたら外国人扱いであることも変わらない。

そういったことを気に病んでしまうのか?

それとも何も考えずにそのまま、ありのままに受け入れることができるのか?

それによってその人の日々の生活は大きく印象が変わってくるはず。


フィリピン生活で学んだこと

例えばフィリピンで暮らしていても、人々は日本人と同じように動くことはない。

ウォーターサーバーの水を頼めば三回に二回は注文を忘れるとか、そういったことが日常茶飯事の中で、自分の基準を相手に押し付けることは難しい。

そうなってくると、小手先の語学力をどうこうするよりも、人間としての器を大きくするとか、おおらかさを身につける、あるいは自分の感情や用件を上手に表現する能力のほうがはるかに役に立つ。

これはトラブルに巻き込まれたときも同じで、理路整然と流暢な英語を話すよりも、日本語でもいいのでとにかくこちらが怒っていることとか、譲歩する意思がないことを徹底的に主張して騒いでいることを相手に迫力を持って伝えることのほうが、はるかにトラブル解決のために役立つ。

理屈が通じない相手は残念ながら世の中には多いし、そうした人に理論を追って説明したところでそもそも相手は聞く耳を持たない。

それよりも、とにかく人間としての凄みを見せ付けてしまったほうが、相手も下手に関わると危険とか、これ以上追い詰めると何をしでかすかわからないという恐怖を覚えることになる。

こういった力こそ、本当に海外で暮らしていくためには優先されるべきではないか、というのが、実際に海外在住者として三年近く暮らしてみた感想。


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