明治や大正の海外渡航者の価値は今の何倍だったのか


今となっては日本人の約一%、百万人以上が海外居住者であると言われている。

これは海外駐在員やその家族、留学生、ワーキングホリデイの人たち、リタイア組等をもろもろ含んで大体国民の一%と言われている。

しかもこの一%は当然固定されているわけではなくて、日本に戻ってくる人もいれば、新しく海外移住をする人もいるわけで、海外での生活を経験した人ということで言えば、国民のおそらく五%くらいはいるのではないかと思う。

これはあくまでも私の勝手な推測なので、何かのデータに基づいているわけではなく、ひょっとしたら数字はだいぶ違うかもしれないが、五%から大きく外れて、例えば三十%もいるとか、あるいは二%しかいないとか、そういったことはないはず。

これに対して、明治や大正の時代であればこの数字は当然劇的に下がる。

特に明治時代の初期であれば、日本人がアメリカに行っただけで大ニュースになるくらいなので、それだけでも国家として重要な要人ということになってくる。

あの頃の日本で英語を学ぶことは相当難しかったわけだし、渡航する際の船の揺れもひどかった。

よくドラマなどで描かれるシーンで、船酔いをして吐いているシーンを見かける。

それに比べると、太平洋を渡るにしても数時間で済んでしまう飛行機はとても便利な乗り物だし、耳がキーンとして痛くなる人はたまにいるものの、船酔いのようなひどい症状が出ることもない。

そう考えると、著しく難易度は下がって利便性が上がったものの、海外渡航者の市場価値という部分で言うと、もうすでに崩壊してしまったと言わざるを得ない。

それでいながら、海外に行ったから何かを得られたのではないかと勘違いをして、日本に戻ってきてその自意識と現実の格差に精神をやられる人もいる。

残念ながら、海外生活をしたから特別な人間だというのは、江戸後期や明治時代、せいぜい大正時代の初めくらいまで通じていた話であって、今の時代においては何の意味もない。

海外生活者は日本人で百万人以上といわれているものの、海外旅行者に関しては毎年一千万人程度なので、年間だけでも延べで国民の十%程度が海外に足を運んでいることになる。

もちろんこれは一人で何回も行っている人を重複して数えているので、実際に頭数で数えればもう少し数字は減るはず。

とはいえ、それでも何百万人という単位で外国を目指し、そこでの体験をしているので、その期間が若干長くなって数ヶ月〜1年滞在したからといって、尊敬されるわけでもなければ画期的な発見をしてくるわけでもない。

ちょっと海外に出れば黄金の国ジパングを見つけられると言っている外国人がいたら失笑するしかないのと同じように、日本人が海外に出たところでそれほど多くのものを得ることができると思うのは、あまりにも希望が大きすぎる。

楽観的に考える思考も時には必要だし、それによって人生が明るくなるのもわかるが、コストパフォーマンスを考えたときに間違った判断をしてしまうきっかけにもなりかねないので、こういった希少価値の部分から外国に行くことがどういう価値があるかを考えるのも必要なこと。

やはり人生のビジョンを見据えた上で、その中でどういった位置づけで行動していくのかという全体像が見えていないと、ただ単に日本から出て国境を越えれば何か意味があるという、間違った方向に迷走してしまうことになりかねない。

自分探しの旅はなんとなく充実感はあるかもしれないが、終わってから振り返ったときに本当に得るものがあったかは謎が残る。

その上で有り余る時間を充実感を得るために使いたいということでやっていくのであれば、それを止めるつもりはない。

ある意味で人生は暇つぶしの連続とも言えるわけだし、壮大な実験とも考えられる。

そう考えれば、一か八か面白そうなことにチャレンジしてみるのも、ひとつの余興としてなら面白い。


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