数日間〜一週間ホームステイを行なって、それによって海外生活を知った気になってしまう人がいる。
私の中学時代の同級生もまさにこの病にかかっていて、ほんの一週間弱オーストラリアのシドニー郊外の家族のところにホームステイをして、すっかり海外かぶれになってしまった。
確かに相手の国の家庭に滞在することは、ホテル暮らしでは垣間見えない現地の人々の暮らしを体験することになる。
ただここで問題なのは、家族の形なんてその国の中でも家庭ごとに全く違うということ。
日本においても、それぞれの家庭によって独特の決まりがあったりするし、流れている空気感とか、あるいは毎晩の食卓を飾る料理も違う。
厳格な父親がいて常にピリピリして食事中に冗談のひとつも言えない家庭もあれば、常に笑いが耐えずににこやかな食卓を囲んでいる家族もいる。
仮にドイツに行って厳格な雰囲気の家庭に泊まれば、ドイツ人は噂どおり生真面目で余計なジョーク等を飛ばさない民族なのだと思いたくなる気持ちもわかる。
それは事前情報に引っ張られているわけだし、自分の中ですんなりと腑に落ちたわけだから、整合性が取れてそのまま信じたい情報として脳に認識される。
しかし、実際に一つや二つの家族を見たくらいでその国を知ることはできないし、まして海外生活を思い知ることはとてもできない。
ある意味、無知であることをわからなくなってしまったことによって、短期のホームステイで中途半端な知識を得てしまったことはマイナスにすらなるのかもしれない。
自分が無知であることを自覚していれば、そこから謙虚に情報収集をすることもできるし、必要なリサーチを行なうこともできる。
それに対してすでに十分な情報を持っているという勘違いをしていれば、慢心してそこから先の努力を一切怠ってしまうので、結果的に大きな間違いを犯すことにもなりかねない。
文化人類学の観点から見ても、一つや二つの家庭を調べたくらいでその民族の歴史や文化、風習等を推し量ることは到底不可能である。
そんなことをすれば、他の学者から笑われてしまう。
しかし、ホームステイで現地に行った学生は、しばしばそういった間違いを犯して日本に戻ってきてしまう。
多くの人が積んだことのない経験を自分自身はして、そこに酔ってしまう気持ちもわからないわけではない。
どうしたって特別な体験をしたのだから、それを誇りたくなる気持ちも人間の心情として当然のこと。
しかしながら、そこに溺れてしまうと、より本質から遠ざかってしまうことになるし、中途半端に海外を知ったことによって、本当の世界の広さから遠ざかってしまうという悲しい結果になりかねない。
ある意味では、世界は一生かけても理解できないものという認識こそが真実。
そうである以上、ホームステイで得られた経験や知識は、その国の中でも極々一部の限られた断片的な体験であることを理解しておいたほうが、ホームステイの経験を今後の人生に生かしていく上ではプラスに働く。