建築家、隈研吾氏の語る住宅の未来について


大和ハウス工業がスポンサーを務める建築家、隈研吾氏のインタビューを読んだ。

この隈研吾氏は新国立競技場の設計計画のデザインの採用が決まったことでも有名だが、他にも歌舞伎座やTOYAMAキラリをはじめとして、大小さまざまな作品を国内外に残している。

そして今後の住環境を考えた場合に、イノベーターでもある隈研吾氏の考え方には強く共感するところも多かった。

オフィスを自宅のように

まず一つ目に、オフィスが家に近づくという話。

もともとオフィスというのは歴史が浅く、個人や家族単位で働く期間の方が圧倒的に歴史が長いが、オフィスに関しては、19世紀以降に出現している。

実は歴史が浅く、そしてオフィスだとどうしても仕事という役割に特化してしまうため、家のように様々な役割を果たすことが出来ない。

しかしながら、IT化等の影響を受け、自宅が再び様々な役割を持つようになり、例えば私のように自宅で仕事をする場合もあれば、人を招いてそこで打ち合わせをしたり、あるいはもてなしたりといったこともあるし、もちろん家族との時間を過ごす場所、言い換えれば再生産の場としても機能する。

そういったくつろぎから他人との交流まで、様々な役割を家は持てるのに対して、オフィスはどうしても用途が限定される。

そのため、先進的な企業の場合は、いかにしてオフィスを家に近い多様性のある用途で再定義するかを検討しているというが、これはまったくもってその通りだと思う。

アメリカとヨーロッパの住宅感の違いについても語られている。

核家族ベースで生活し、さらに20世紀に住宅ローンを組んで持ち家を保有するのが主流になったアメリカと、まだ大家族的な価値観が残っているヨーロッパという二項対立も開陳されたが、アメリカやヨーロッパ等でも仕事をしている隈研吾氏の言葉は重く響く。


世界的な建築家が手掛けるシェアハウス

面白いのは、世界的な建築家でありながら、シェアハウスや吉祥寺の焼き鳥屋の設計も手掛けていること。

元々シェアハウスに関しては、隈研吾氏の長男が家を出たいと言ったときに作ったらしいが、この経験を通じて多くの若者が疑似家族のような関係を求めている、つまり人間関係が希薄になった社会よりも、むしろ結びつきの強い関係を求めている人達が多くいることに気付いたらしい。

確かに孤独が社会問題にもなりつつある現状においては、昔の学生下宿とか、長屋とか、そういった価値観は逆に斬新に響く。

もちろんシェアハウスには合う合わないもあるし、そこに住む人とうまくやっていけるかどうかということは、一概には言えない。

しかしながら、隈研吾氏のようなトップ建築家が、こういった案件を手掛けるのは非常に興味深い。

なによりも孤独を望むのであればそれを叶えられるし、シェアハウスで家族的な結びつきを得たいのであればそういった選択肢もあるという、様々なチョイスが提供されている社会の方が生きやすく、面白い。

隈研吾氏が手掛けるシェアハウスはただ単に一定層を取り込むだけではなくて、単身者や家族連れ、外国人、さらに所得も様々な人を取り込んで、多様性を確保したいということだが、これは多くの都市が標榜しているテーマでもある。

多様性の中で、新しいイノベーションとか、クリエイティビティが生まれるということが叫ばれて久しいが、自宅という最も身近な環境においてそれを体感できるのは大きいのではないだろうか。

もっとも、家族的なつながりは制約や束縛、負担も伴うものなので、自由に移動できる状況は確保しておきたい。

そうでなければ、距離が近いからこその閉塞感や息苦しさに見舞われることにもなりかねない。


団地の再生

最後に、隈研吾氏は佐藤可士和氏と共に、団地の再生というテーマにも取り組んでいるという。

私も子供の頃は団地に住んでいたことがあるが、どこか郷愁を感じるというか、懐かしさがある。

そして日本に戻ったときに、たまに団地を見かけるような機会があると、どことなくほっとする一方で、貧困化が進み、団地近くのコンビニでは万引きが多いとか、事件が多発しているとか、風紀が乱れるとか、そういったマイナスな要素も耳にするようになり、複雑な思いを抱えている。

そういったマイナスの側面ばかりに着目されない団地も増えて欲しいし、一流の建築家がこういった案件に取り組めば、それを模倣した案件も増え、結果として団地業界全体の底上げが図られることが期待できる。

別に私自身が団地に住む予定はないが、そういった未来は心のどこかでワクワクする。

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