なぜブログを書き続けるのか?


わざわざ継続的にブログを更新するのは手間のかかることだが、なぜそんなことをするのかといえば、いくつかの理由がある。

その中でも重要なのは備忘録としての存在で、自分自身が何を考えていたかとか、何を調べたかをまとめて書いておくと、意外に後から役に立つ。

例えばこれがテキストファイルに保存しておくだけだったとしたら、パソコンの中での検索機能を使うことはできるが、グーグルで検索したほうが曖昧な言葉でも関連するキーワードがヒットする。

ブログとしてアップロードしておくほうが、あとから自分のおぼろげな記憶を頼りに情報に行き着くことができる。

私の場合、海外ロングステイや資産の防衛・分散、ビザや永住権に関する情報を書くことが多い。

それ以外だと、いかにして自由に生きるかとか、そのためのマインドセットも書き記すが、自分の名前やブログのタイトルをいれて検索をかければ関連する記事がピックアップできるので、グーグルを使い自分自身の頭の中を整理することにも一役買っている。

つまり単純な日記として閉鎖的な状態に放置しておくよりも、ネット上に公開してグーグルにインデックスしてもらったほうが、あとから情報を探すのに圧倒的に便利になっている。

基本的に検索エンジンは他人が情報を検索してやってくるものという捉え方をしている人が多いと思うが、自分で自分のブログの情報にアクセスするときにも使い勝手のいいツールとなる。

例えば、以前にポルトガルの投資ビザについて調べたことは記憶していても、その細かい条件についてど忘れしたときに、普通に検索をかけても自分のブログが出てきたりするし、過去に書いた記事だけに限定したければ、ドメインで検索を区切り、ほかの関係のない情報を遮断するなど、用途によって使い分けも可能。


ブログとフェイスブックの役割の違い

ブログとフェイスブックがあれば自分の行動が時系列に記憶されていくので、曖昧な記憶よりも、むしろデジタルデータを見たほうが、いつどこでなにをしていたのか、あるいは考えていたのか、後から辿るときの確かな手掛かりとなる。

特に最近は、時間という観念が相当に曖昧になっていて、半年前だと思っていたものが、実を言うと2か月前だったり、2年くらいは経っているのかと思ったら、意外にも4か月くらいしか経っていなかったりといったことがある。

感情や感覚によって相当時間感覚は狂わされるので、適当に記憶を辿って推測をするよりは、事実として積み重ねられている記録を眺めるほうが、情報の精度が高くなる。

主にフェイスブックは特定の時期にどこにいたかとか、逆にある場所、例えばケアンズに行ったのがいつだったかを調べるのに役に立つが、大まかにあたりをつけてその時期の記事をどんどん見返さなければいけないので、かなり苦労する。

それに対してブログの場合は、グーグルやヤフーを入り口に、他人のプラットフォームを使いゴールに一気に近づけるのが大きな強み。

そんなこともあり、ブログは毎日ではないにしても更新するようにしているが、それすらもいずれ断捨離してもいいのかもしれない。

すべての物事は流動的で不確定であり、いつでも捨て去れるというくらいの気構えでいるほうが、執着せずに済む。

それはブログというメディアについても同じことで、今はまだそこから離れる価値を感じないので現在のところに留まっているが、唐突に切り捨てる判断をしても惜しくないという心境でいたい。

もっとも、これまでに蓄積してきた情報の集大成としての価値もあるので、まったくこだわらないのは実際にはなかなか難しいところではあるが。

よく読まれている記事

1位:海外移住の電子書籍を無料プレゼント中

2位:フィリピン永住権、クオータービザを取得完了

3位:マレーシアに移住して分かった生活費・ビザ・仕事・食事の現実



メールアドレス

ページの先頭へ