善意だけの災害ボランティアはときに迷惑という厳しい現実


災害ボランティアのプロというとおかしな話だが、東日本大震災は勿論、国内外を問わずいくつかの地震や津波等の現場に赴き、汗を流してきた人と話す機会があったので、そのときに学んだことをまとめておこうと思う。

もともとその人は中学時代に阪神淡路大震災を経験し、その時に災害ボランティアとして多くの人に助けられたことを感謝していて、いつかその恩を返したいと思っていたのが、自分自身が何か貢献できないかと考えるきっかけになったという。

当初は彼も特別な能力とか、あるいは下調べがあったわけではなく、現場で学んできたとこが軸になっているというが、ときとしてボランティア仲間と思わず再会することもあり、やはりフットワーク軽く誰かのために動ける人は限られているのかもしれない。

そういった経験を積んでいる人は動きも慣れているので無駄がないが、当然ながら東日本大震災のような大規模災害の場合には、まったく右も左もわからない状態でとにかく現地に駆け付けた災害ボランティアの人から、さらに言えば単なる野次馬まで玉石混交なのが実際のところ。

誰かを助けたい気持ちはあっても、ノウハウというかハウツーの部分でつまずいて、むしろ現地で邪魔になっている災害ボランティアの人も見受けられたという。

当然のことながら、人間が被災地に入るということ自体が邪魔なわけで、役に立たなければプラスマイナスゼロにすらならない。

食料を消費するわけだし、現地は水道やガスや電気といったインフラも止まっていたりするので、何の役にも立たない人がトイレを使うだけでも現地の環境を悪化させていることになる。

さらに言えば、人の多い体育館等の避難所でうろうろしていると人口密度が上がるだけなので、ますます圧迫感がある。

また、よそ者がうろついていること自体に非難のまなざしを向ける人や警戒心を抱く人、さらには見世物ではないと憤る人もいる。

そのため、彼が提唱しているのは、自分に何ができるかを明確にした上で貢献しようということ。

たとえば、愚直に汗を流すのも体力がある人であればいいが、すぐに体調を崩すような病弱な人とか、あるいは周囲との協調性に欠けるような人が行っても、かえって足手まといになりかねない。

さらに被災地はかなり過酷な環境であったりする場所もあるので、体調を崩すこと自体が現地の人にとっては邪魔な話。

災害ボランティアだからお金をもらっているわけでもないのだし、不手際は仕方ないという意識の人が多いと、結果的に本当に貢献できる人まで白い目で見られることになり、かえって現地の復興を遅らせることにも繋がると語っていた。

もちろん体力がなくてもそれ以外に役に立つ能力は色々あるので、現地の人を和ませるような話術やコミュニケーション能力を持っているとか、子供の面倒を見るのが得意とか、炊き出しで力になれるとか、そういった一芸とまでは言わないが、ちょっとした特技があるとかなり役に立つ。

逆に迷惑なのは評論家気取りというか、あれこれと現地で指図をしたり、役場のやり方に批判的な態度をとるだけでかえって現地を混乱させるようなタイプの人。

プライドが高い人が災害ボランティアに出かけること自体は否定される理由はないが、組織や指揮系統を考えれば、外部の者が適当に口出しするのは控えるべきであることは、冷静に考えればわかること。

そもそも現地の土地勘も詳しい事情も分からない人が、突然後からやってきて偉そうに上から目線で指図をするというのは、どういうつもりなのかと不満を抱かれるのも無理はない。

もちろんそれ相応の人が権限を持ってやってきたのであれば、現場の行動を変えなければいけないこともある。

たとえば省庁の上の方の人物であれば話は変わってくるが、1ボランティアスタッフが、年齢がいっているとか、普段の社会的地位が高いとか、現場で何の関係もないことを笠に着て勘違いした行動を取るのは、他のボランティアスタッフにとっても、現地で被災した人たちにとっても目障りでしかないので慎んでほしいということだった。

さらに言うと、善意なら何でもいいということではなく、もうすでに誰が着たがるのかわからないほどぼろぼろになった衣服を送ってくることも、かえって物資の仕分けに人員を取られるだけなので、常識的な判断は忘れないでほしいとのこと。

被災地はごみの廃棄場ではなく、あくまでも災害に遭遇した人が住んでいる場所なので、そういった思慮は当然のことと思うが、意外に徹底されていないというのが、現地で汗を流している人の率直な感想らしい。

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